我が国は無条件降伏などしていない

我が国は無条件降伏などしていない

78年前の今日、東京湾に停泊する米戦艦ミズーリの艦上において、我が国は降伏文章に調印しました。

この降伏を「無条件降伏」だと誤解している人たちが大勢いますが、それは明らかな間違いです。

我が国は、昭和20年7月26日に連合国側から示された『ポツダム宣言』を受諾して8月14日に敗戦を受け入れました。

そのポツダム宣言には、次のように書いてあります。

「我らの条件は左のごとし…」(第5条)

つまり日本政府はこれらの条件を受け入れて戦艦ミズーリでの降伏文書調印に臨んだわけです。

よって、ポツダム宣言は日本国のみならず、ポツダム宣言をつきつけた連合国側をも拘束するのです。

その条件のなかに「日本国軍隊は完全に武装を解除せらる」(第5条)とあり、そして第13条に「日本国政府は直ちに日本国軍隊の無条件の降伏を宣言し」とあります。

すなわち「日本国の軍隊は無条件で武装解除しなさい」と言っているに過ぎず、あくまでも無条件で降伏(武装解除)したのは日本国の軍隊であって日本国政府ではありません。

このことについては、当時の東郷外相も次のように述べています。

「(日本が連合国と)対等の立場において条件をのむ一種の条約の締結であり、連合国は日本が国家として無条件降伏することを要求しているのではない」

むろん、当時の米国国務省も「日本の有条件終戦」を認めています。

したがって、連合国(GHQ)による戦後処理(占領政策)はポツダム宣言と国際法に基づいて行われねばならなかったわけですが、ご承知のとおり、ポツダム宣言では認められていない権限(マッカーサー条例)をもって日本を裁いたのが「東京裁判」です。

東京裁判は、まさに国際法の蹂躙でした。

くりかえしますが、日本国の降伏はポツダム宣言の条件にしたがって降伏した「有条件降伏」でしたので、例えば戦争犯罪についても、同宣言第10条にある「我らの俘虜(捕虜)を虐待した者を含む戦争犯罪人」だけが対象になるはずです。

つまり、捕虜虐待等のそれまでにもあった通常の戦争犯罪だけが対象となるべきだったのですが、「平和に対する罪」「人道に対する罪」というポツダム宣言後に考え出された事後法によって我が国は裁かれたのです。

「侵略」の定義も曖昧なままに、しかも事後法によって定められた罪は戦勝国には適応されないというのも大いなる欺瞞です。

東京裁判の冒頭、日本側弁護人の清瀬一郎は「この裁判の管轄権はどこにあるのか?」とウェップ裁判長に尋ねたところ、ウェップ裁判長は「後に闡明(明らかに)する」と逃げ、ついに闡明されぬまま裁判は終了し、今日いまなお明らかにされていません。

本来、管轄権のない裁判は無効です。

裁判後、トルーマン米大統領と会談したマッカーサーは「東京裁判は平和のため何ら役に立たなかった」と述べたと言われています。