リベラリズムの終焉と主権国家の再興

リベラリズムの終焉と主権国家の再興

冷戦後、米国は国際秩序の設計者として、同盟国との相互依存を基軸に、リベラルな国際秩序を維持してきました。

しかしながら近年、その基本構造が大きく揺らいでいます。

とりわけ、トランプ前政権における同盟国軽視、国連機関からの脱退、国際開発機関の弱体化は、国際社会における米国の信頼性を大きく損なっていることは、もはや周知の事実と言えるでしょう。

現トランプ政権に至っては、相互関税をちらつかせるなど、同盟国に対し政治的ディールを仕掛けてきていますが、こうした行動で中国に対抗できるとの考えは過信であると、ハーバード大学のジョセフ・ナイやロバート・コヘインらはかねてから警鐘を鳴らしてきました。

同盟国のなかにも、このような米国の帝国的独善に対し「いまや受け身でいるべきではない」という意見も出ています。

例えばオーストラリアの元首相マルコム・ターンブルは「いじめられない国」の連合を構築し、米国の一方的な行動にブレーキをかける必要があると提唱しています。

彼は、欧州諸国や日本などの民主主義国が連携すれば、単なる地域的対応ではなく、国際秩序全体を守る影響力を行使しうるとも述べています。

さらには、こうした米国の行動が一過性の現象ではなく、構造的な変化を反映している可能性があると指摘する学者もいます。

タフツ大学准教授のマイケル・ベックリーなどは、米国のリードが他国に比べて相対的に若い人口構成と自動化技術によってさらに強固になり、他国への依存度が低下することで、米国が国際協調よりも「取引型外交」へ傾斜し、孤立主義的な「ならず者の超大国」となる危険性を指摘しています。

「ならず者の超大国…」、極めて辛辣な言葉です。

この見方は、米国ファースト主義がもはや一部の政治家の気まぐれではなく、米国外交の底流にある思想であることを示唆しています。

したがって、わが国を含む同盟国の識者のなかには「もはや米国に全面的に依存する時代が終わったことを認識し、対等なパートナーシップに基づく新たな国際協調体制を構築すべきだ」という見解が示されるのも、自然な流れであると言えるでしょう。

いずれにしてもこれらの意見の背景には、米国の覇権国としての衰退論があります。

ご承知のとおり、著名な国際政治学者であるジョン・ミアシャイマーは「リベラリズム外交は妄想であった」と主張しています。

外交だけではありません。

米国が主導してきたネオリベラリズム(新自由主義)経済こそが、米国経済を混迷の底に突き落としたのです。

とりわけ、規制緩和と金融至上主義を柱としたネオリベラリズムは、格差拡大と産業の空洞化をもたらし、米国経済の実体的基盤を弱体化させました。

すなわち、リベラリズムに基づく外交も経済も、ともに失敗したのです。

その意味で私は、トランプ大統領の出現が混乱をもたらしている、というより、リベラリズムによる混乱がトランプ大統領を出現させたのだ、と考えています。

要するに、混迷する米国政治の責任をトランプ大統領という一個人の政治家に求めるのは、正しい状況認識とは言えない。

米国が覇権国としての力を失いかけているとはいえ、いまなお世界のGDPの4分の1を占め、相対的な軍事力も他を圧倒しています。

ゆえに、米国が国際政治に与える影響力はまだまだ大きい。

わが日本国としては、そんな米国への依存度を低下させつつ、戦後レジームの枠から脱し、主権国家としての地位を取り戻す努力が求められています。

その究極の先には、占領憲法をどう処理するかの議論に行き着くことになりますが、そのような議論に真正面から向き合える国会議員が、いまの日本にどれだけ存在するのだろうか。