家計簿財政

家計簿財政

きのう開かれた政府・与党政策懇談会において、防衛費増額の財源に関する方針が示されました。

岸田首相は、2027年度以降に必要となる年4兆円の増加分は歳出削減等で3兆円ほどを確保し、なお不足する1兆円強については増税でまかなうとしています。

結局、政治家たちの多くがPB(プライマリーバランス)絶対主義に陥っているため、財源の話になると「他の歳出をカットする」もしくは「増税する」という発想しかでてきません。

まさに「家計簿財政」です。

子供が通う塾の授業料が値上げされたので、その分、お父さんのお小遣いを減らさなければ…みたいな。

むろん家計はそれでいい。

しかし、通貨発行権を有する政府がそれと同じことをしているから馬鹿げています。

例えば、もしも家庭にお札(日銀券)を刷る輪転機があり、「いくらでも刷って使っていいですよ」という法律があったとしたなら、その家庭はどうでしょう。

子供の授業料が引き上げられても、お父さんのお小遣いを減らす必要はなく、お母さんが働きに出て新たな所得を稼いでくる必要もありません。

ただ、お札を刷ればいい。

まるで夢見たいな話ですが、それをできるのが政府なのです。

政府がお札を刷ることを「国債発行」といい、そのカネを使うことを「財政支出」と言います。

「そんなことをしたらハイパーインフレになって国が破綻するぅ〜」というお約束のご批判があるわけですが、もちろん国民経済の供給能力(インフレ率)が国債発行の制約(上限)になります。

したがって、インフレ率を注視しながら財政支出を拡大することはもちろんです。

因みに、貨幣量の変化は生産に何ら影響を与えない、とする新古典派経済学の言う「貨幣の中立性」は誤りです。

いまは輸入エネルギーや食料の値上がりによって商品の一部にコストプッシュインフレが起きていますが、日本経済は基本的にデフレ(供給>需要)状態にあります。

国債を発行する余地は十分にありますので、防衛費を増額するのに他の歳出を削減する必要もなければ、増税する必要もありません。

「PB絶対主義」に陥ってしまうのは、詰まるところ「正しい貨幣観」をもっていないからです。

彼ら彼女らがもつ貨幣観は「商品貨幣論」という間違った貨幣観です。

商品貨幣論とは、貨幣とは貴金属のようなその内在的価値ゆえに、交換手段として使われるモノであるという理解です。

即ち、貨幣は支払いの際に受け取られるために貴金属による裏付けを必要とするのだ、というわけです。

しかしながら、私が生まれた1971年に米国がドルと金の兌換を停止して以来、主権国家が発行する通貨は貴金属の裏付けを持っていません。

「モノ」によって裏付けられていない貨幣なのに、どうして私たちはそれを受け取っているのでしょうか?

それを突き詰めていくと、正しい貨幣観に行き着きます。