ウクライナ政府の不見識

ウクライナ政府の不見識

ことしの4月1日、ウクライナ政府は政府公式アカウントとして、とあるツイート動画を公開しました。

そのツイート動画をみたとき、私はウクライナ政府に対し怒り心頭に発しました。

なぜなら、よりによって昭和天皇をムッソリーニやヒットラーと同列にして「ファシスト」と称し、「ウクライナはファシズム、ナチズムと戦っています…」と世界に喧伝したのです。

さすがにこのツイート動画は数時間後に削除されたのですが、私は未だに怒りが収まらない。

ウクライナ政府はどの面下げて、日本に救いの手を求めているのでしょうか。

また、ゼレンスキー大統領は米国議会に援助を求めた演説のなかでも、我が国の真珠湾攻撃を引き合いに出していましたが、なにも日本は米国を侵略したくて攻撃を仕掛けたわけではなく、そうせざるを得ないように追い込まれ、やむにやまれず戦争に突入せざるを得なかったのです。

このことは、昭和26年5月3日の米国上院(軍事外交合同委員会)でマッカーサー自身が証言しています。

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も錫もゴムも、そのほか実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたでしょう。日本人はこれを恐れていました。したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security)」(1951年5月3日、米国上院軍事外交合同委員会)

そもそも追い込んだ張本人が米国です。

そんな当時の日本を引き合いに出して米国に支援を求めていること自体がゼレンスキーの不見識です。

では、ゼレンスキーに教えてやろう。

戦前の日本において軍部の中にファシズムの動きがあったのは事実です。

226事件を惹き起こした軍人たちがそうでした。

当時の日本は不況に苦しみ、農村などでは娘さんを身売りさせなければならないという状況に陥っていました。

そして貧富の格差は拡大していくばかりでした。

そうしたなか、226事件を惹き起こした軍人たちに影響を与えたのが北一輝という社会主義者です。

社会主義ではあるものの、それは日本独自の社会主義で、いわば「天皇を頂く共産主義」です。

天皇の下にみな平等…みたいな。

もしも226事件が成功していたならば、わが国は天皇を頂点にした共産国家になっていたかもしれません。

これに対し、「そんなことは認められない!」と断固として反対されたのが昭和天皇であられます。

「暴力によって朕の側近を亡き者にし、あまつさえ自分を担いで共産政府をつくることなど絶対に許さない」と陛下はお考えになられたのだと拝察します。

であるからこそ「朕自ら近衛兵を率いて鎮圧する」と仰せになられ、226事件を速やかに鎮圧したのは昭和天皇ご自身です。

つまり戦前の日本において、ファシズムとの闘いの先頭に立たれたのが昭和天皇なのです。

そんな陛下をファシストと称するなどもってのほかです。

ツイート動画を削除したからいいだろう、という話ではない。

私はウクライナ政府に対し断固として抗議します。