改むるを憚る人たち

改むるを憚る人たち

かつて、アドルフ・ヒトラーは「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい。とりわけそれが何度も繰り返されたならば…」と言っていました。

ナチス宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルスもまた「嘘も100回言えば真実となる」と。

全体主義に嘘はつきものなのか。

そういえば、とある全体主義的国政政党を立ち上げたTVタレント弁護士が「嘘をつかないやつは人間じゃねえよ」「嘘つきは政治家と弁護士のはじまりなのっ」「私は交渉の過程で嘘も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。自分のミスから窮地に陥ってしまった状況では特にそうだ。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」と言っていました。

たしかこの政党は、「負けたら断念する」とか、「一回しかやらない」とか言っていた住民投票を、なにごともなかったように平然と再び行い、都合の悪いデータを隠した詐欺パネルをタウンミーティングや街頭演説で使用して、その不正を学者や市民団体に指摘されても無視してそのまま使い続けていましたね。

おそらくは「嘘も100回言えば真実となる…」と信じてのことなのでしょうが、東洋思想の古典である『論語』には「間違いを改むるに憚ることなかれ!」とあります。

古典は、正しいからこそ古典たりえます。

とはいえ、この種の人たちにとって『論語』など、破壊すべき旧習に過ぎないのかもしれません。

残念なことは、政治の世界には「改むるを憚る人たち…」で溢れていることです。

私の身近にもいます。

とくに昨今、何ら根拠のない「思いつき…」で平然と提言提案をしてくる輩が増えました。

それでいて、根拠のないことを指摘されると、今度は黙り込んで無視してごまかす。

自分ひとりじゃ何の決断もできないくせに、意固地さだけは一人前で絶対に誤りは認めない。

とにかく都合が悪くなれば、無視して先送り。

それが、彼ら彼女らが属する組織のスピリットらしい。

まったく質(たち)が悪いのですが、さらに最悪なのが、この種の政治勢力が「抜本的改革」を叫んでいることです。

考えてみると「抜本的」という言葉ほど、そら恐ろしい言葉はない。

なぜなら読んで字のごとく、根本(ねもと)を引っこ抜いちゃうんですから。

そもそも、根本(ねもと)を引っこ抜いちゃったら、それって改革じゃないじゃん。

根本(ねもと)をしっかり残しながら、問題点を漸次的に改善していくことこそが「保守」です。

これまた誠に皮肉なことなのですが、こうした「抜本的改革」を叫んでいる政党が何を隠そう「保守」を標榜しているのでございます。

まるで落語のネタのようです。

詰まるところ、この人たちは真面目に政治のことを考える気などさらさらないから、「保守とは何か…」など、どうでもいいのでしょう。

失礼…考える気がないのではなく、考える能力がない、と言ったほうが正確かもしれません。

考える能力がないから、「とにかくリセットしちゃえ」という結論に至るのか。