覇権国なき世界

覇権国なき世界

ここのところ涼しい日々が続いています。

このまま夏は終わってしまうのでしょうか。

今年もそうであったように、毎年、夏になるとテレビや新聞は「あの戦争を二度と繰り返すな」という話で盛り上がります。

「あの戦争」とは、むろん1945年に戦闘終結した日本と連合国との戦争のことですが、我は「あの戦争」が再び生起することなどあり得ないと考えています。

ナポレオン戦争以降「あの戦争」が終わるまでの約150年間はクラウゼヴィッツの言う「絶対的戦争」の時代であり、そこでは多く敵国の首都まで進撃し、敵国土を我が物にするか、賠償をとって二度と刃向かわないと約束させる方法で戦争を終結させました。

例えば第一次世界大戦の敗戦により巨額の賠償金を支払わせられたドイツ、もしくは第二次世界大戦での敗北とその占領政策により二度と米国様に刃向かわないようにさせられた我が日本国などは、その絶対的戦争で負けた典型的な国です。

こうした絶対的戦争のことを「国家間決戦」とも言います。

第二次世界大戦終結以降、この「国家間決戦」は世界から消え失せました。

その消滅は「核兵器(大量破壊兵器)」と「超大国(覇権国)」の出現によってもたらされました。

核兵器を二カ国以上がもつと、そのうちの二国同士は「共倒れ」になるため「国家間決戦」は世界から消えたわけです。

核兵器を持たない国同士が国家間決戦をすることはあり得ますが、彼らに影響力をもつ超大国がそれに干渉するためにそれもできなくなりました。

南北朝鮮は法的には未だ戦争継続中ですが、長きにわたって休戦状態にあるのはその典型です。

ほか、ベトナム戦争、中東戦争などもありましたが、それらは米・ソの二大大国のコントロール下の局地戦、代理戦、制限戦であり世界大戦とはならず、核兵器が使われることも決してありませんでした。

1991年にソ連が崩壊するまでの世界は、米ソ二極による冷たい平和の時代であったと言えますが、それでもこの時代の戦死者の数は20世紀前半の3分の1ほどに減じました。

その後、ソ連崩壊により米ソ二極時代が終わり、1991年以降は米国による一極支配の時代に入ります。

世界は二極時代から一極時代へと移行し平和が強化されたことで、戦死者の数はさらに少なくなりました。

要するに世界は、無極よりも多極、多極よりも二極、二極よりも一極というように、より極数が減るほどに国際的秩序は安定化するわけです。

これは歴史の鉄則です。

さて、現在の米国による一極秩序が緩み、再び二極あるいは多極・無極に逆戻りしたらどうなるでしょうか。

世界はいま、そのことを真剣に考えなければならない時期にきています。

2003年のイラク戦争と、2008年のリーマン・ショックで、覇権国・米国の国力は軍事力・経済力の両面において相対的に低下してしまいました。

今回、米軍がアフガニスタンから完全撤退したのも、その顕れです。

もしも世界が二極化するとなれば、米ソ対立に代わる米中対立となり、国際的にはそのなりの秩序が保たれるでしょうが、中国に隣接する我が日本国などは常に地政学的脅威にさらされることになります。

また、核戦争にはならないにしても、両極のコントロール下での局地・代理・制限戦争の発生可能性は高まります。

ましてや多極・無極時代になることは第二次世界大戦前夜に戻ることであって、極めて恐ろしい事態です。

だからといって、「核」による脅威と秩序が国際的に機能しているかぎり、あの頃のような国家間決戦の時代には戻らないでしょうけど…

それに、米中がそれぞれ厳しい国内問題を抱えつつも、人口、経済、軍事において隔絶した力を保有し続け共存することになれば、世界がそれを飛び越えて一挙に多極・無極化する可能性は低いはずです。

ただ、ご存知のとおり米国はロシアによるウクライナ強奪に対しても、中国による南シナ海での傲岸な振る舞いに対しても、なんら軍事的制裁を加えておらず、ただただ見過ごしてきました。

アフガンの親米政権を見限って完全撤退したように、既に米国は世界の警察官の役割を放棄する意志を明確にしています。

則ち、世界は確実に一極時代の終焉を迎えているのです。

これに対して、例えば日本の自衛隊だけが米軍撤退後のアフガニスタンでまともな行動をとることができない状況におかれているのは周知のとおりです。

実に情けない事態です。

その情けない事態を招いている最大の要因は、未だに日本国民の多くが「戦後」感覚に酔いしれていることにあります。

前述のとおり、「米ソ冷戦」はとっくに終わり、つづく「米国による一極秩序」も終わりつつあります。

それに「あの戦争」の頃までは「外交の及ばざるところ軍事で解決する」ということが多かったわけですが、現代は「軍事を背景にした外交」により世界秩序(平和)を維持し、その秩序(平和)の中で互いの平和を確保するという時代になっています。

しかしながら戦後日本はひたすら米国様の属国に甘んじて、ただただ「一国平和主義」だけを追い求めてきたことから、国際社会で名誉ある地位を占めることができず、むしろ諸外国から軽蔑されていると言っていい。

ゆえに今後は、自らの軍事力を背景にした「外交力」によって世界秩序(平和)の構築に貢献できる国にならなければなりません。

そのときはじめて、紛争地の邦人を自国の軍隊が堂々と救出できる普通の国になることができます。

覇権国を失った世界で、日本はどう生きるかが問われています。