「無駄」を定義しない、卑怯なる財政破綻論者たち

「無駄」を定義しない、卑怯なる財政破綻論者たち

きのう(8月31日)、財務省が来年度予算(2022年度予算)の「概算要求」を締め切りました。

概算要求とは、財務省以外の各省庁が財務省に対して翌年度の予算枠を概算的に要求することです。(毎年、8月末に締め切られる)

財務省はこの概算要求を査定しつつ予算案を編成していき、様々な政治折衝を経て12月下旬には閣議決定され、年明けの1月には政府原案が国会へ提出されることになります。

因みに、国会の審議過程で予算原案が修正されることはほぼありません。

国会で多数を占める与党の意見は既に予算編成過程で反映されているため、国会審議では野党が多少のケチをつけて騒ぐだけで原案はそのまま可決成立されます。

なお、概算要求には一定のルールがあります。

そのルールに沿って各省庁は8月末までに予算を財務省に要求せねばなりません。

かつては要求総額の上限(天井=シーリング)が厳格に設定されていました。

むろん、収支の縮小均衡しか考えられない経理脳の財務省としては、とにもかくにも歳出膨張に歯止めをかけたいからです。

現在は要求総額ではなく年金や医療、あるいは裁量的経費や義務的経費など項目別に上限を設定しています。

財務省としては「予算にメリハリをつけているのだ」と言いたいようです。

さて、来年度予算の概算要求の総額が111兆(一般会計)になったことを受けて、さっそく財務省の御用新聞たる日本経済新聞が「膨らむ概算要求…」という見出しをつけて予算額拡大に難癖をつける記事を書いています。

『膨らむ概算要求、過去最高111兆円 特別枠に便乗目立つ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA302I90Q1A830C2000000/
財務省は31日、2022年度予算の概算要求を締め切った。総額は一般会計で111兆円台となり、4年連続で過去最大を更新した。復活した「重点要望枠」に脱炭素やデジタル関連の施策が多く盛り込まれ全体が膨らんだ。便乗のような要求も目立つ。新型コロナウイルス対策で予備費を上乗せする可能性が高く、予算規模は膨張しそうだ。(後略)』

この記事で言う「便乗のような要求」が、日本経済新聞に言わせると「無駄で余計な予算の要求」なのでしょう。

もしもそうであれば、ぜひ訊くが…

日本経済新聞よ、「無駄」を定義してみよ!

よく世間では「無駄な公共事業」という言葉が使われますが、どの工事が無駄でどの工事が無駄でないのか、明確に線引きしてくれる人はおられない。

東日本大震災の際、無駄な公共事業の典型のように言われて建設された「三陸沿岸道路」が、結果として「命の道」として機能を発揮したことを思い起こしてほしい。

当時、国の示した費用対効果の数値は1.1で、ほとんど事業効果のない道路事業とされていました。(費用対効果1.0以下は予算がつかない)

もしも数値が1.0であったなら、あの「命の道」はつくられておらず、多くの死者と犠牲者を出していたことになります。

0.1という首の皮一枚で、あの「命の道」は建設されたのです。

ところが、未だに国の示す費用(コスト)に対する効果(便益)には災害対応(危機対応)が想定されていません。

「すべての道はローマにつづく…」と称されたローマ帝国が無数の道路ネットワークで国土が形成されていたことは周知のとおりです。

ローマ帝国は、最初は軍用施設として道路を整備したわけですが、平時には人々の往来を盛んにしたことで次第に経済や文化の形成にも大きな効果を発揮し、災害の際には避難路や救援路としての機能を発揮し、結果として長きにわたるパクス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)を実現するための高度なインフラ施設となりました。

何が言いたいのかというと、ローマ帝国の「道路」は有事対応を最優先にしてほぼ採算無視でつくられたことです。

最初から採算重視で建設されていたなら、あのような道路ネットワークは構築できず、パクス・ロマーナは実現しなかったことでしょう。

少なくとも、あの頃のローマ人たちには「無駄な公共事業」という概念はなかったことでしょう。

ことほどさように、「無駄」を定義するのは難しいことなのでございます。

それに、インフレ率が0%で推移し続けている現在のデフレ日本には、政府の通貨発行(財政支出の拡大)にほぼ制約はありません。

そもそも、総需要が不足するデフレ経済下において、不足する需要を埋めることのできる経済主体は政府(国家予算)しかありません。

日本経済新聞社が埋めてくれるなら別ですが…

ゆえに「概算要求総額が過去最高…」と言って騒ぎ立てる新聞社の感覚が私には理解できません。