過酷な国土条件で生きる自覚

過酷な国土条件で生きる自覚

すべてのものを統貫するものを「脊梁」といい、最も高いものを「屋脊」、あるいは「山脊」などと言います。

脊という文字の成り立ち(六書)をみますと、「膂肉(背中の骨肉)のかたちと肉に従う」とあります。(白川静『字統』)

我が国の国土の特徴の一つは、弓形に細長い国土の中央を長々と、1000メートルから3000メートル級の山々が北海道から九州まで縦に貫いていることです。

その山々を、私たちは「脊梁山脈」と呼んでいます。

この脊梁山脈の存在が、諸外国の国土条件と比べて大きなハンディキャップになっています。

例えば、日本海側には対馬海流という温暖な海流が流れており、そこに冬になるとシベリアから吹き寄せる寒風が脊梁山脈とぶつかります。

この脊梁山脈の存在が、この国を雪国と非雪国に分けているのは周知のとおりです。

あるいは、日本の河川のほとんどが脊梁山脈を起点に瀧のようにして海に落ちてきます。

日本海側に流れるか、太平洋側に流れるかの違いはあるとして、とにかく全ての河川が短く急流です。

そこに台風も来るし、梅雨も来る。

むろん、そのことが水田耕作を容易にしたという大きなメリットがあったものの、同時に洪水や土砂災害を起こしやすいというデメリットにもなっています。

ちなみに、流域面積が11万5000km²あるロワール川(フランス)などは広く平坦な国土を緩やかに流れています。

フランスの国土面積は55万km²もありますが、大河川と呼べるものは5〜6本しかありません。

一方、フランスより国土面積が小さい我が国(38万km²)には、国土交通省が管理しなければならない一級河川(一級水系)は109水系もあります。

繰り返しますが、それらの河川はどれも短く、脊梁山脈から瀧のように落ちてくるわけです。

ロワール川という一河川だけで日本の国土の3分の1の広さの流域面積があるのですから、即ちそれだけの長さ広さがあれば上流で雨が降っていても下流では降っていないという感じでしょうから、一気に水位が上がることなどほとんどないはずです。

また、河川と河川の間を「分水嶺」と言います。

そこに降った雨がA水系に向かうのか、あるいはB水系に向かうのかの分かれ道であり、分水嶺は他の地域に比べて高くなっているわけですので、河川の数だけ国土が分断されていることになります。

しかも、小さく分断されています。

要するに日本人は大平原に暮らしてきたのではなく、小集落に暮らして歴史を紡いできわけで、いかに私たちが厳しい国土をあずかっているのかがよくわかります。

このような厳しい国土に働きかけることで、日本人は国土からの恩恵を受けてきたのです。

にもかかわず、この30年間、日本政府は「国土に働きかけぬ」という俗悪な公共事業観と財政観によって政(まつりごと)を行っています。

ゆえに、東日本大震災においても、能登半島地震においても、その被災者のすべてが天災による犠牲者とは言い切れないと思います。