戦争に至るまでには、それなりの歴史がある

戦争に至るまでには、それなりの歴史がある

ロシア・ウクライナ戦争を、ロシアによる一方的な侵略行為として片付けることなどできない。

いつの時代でも、戦争に至るにはそれなりの理由があるものです。

例えば、一部の反日左翼らを別にすれば、今や大東亜戦争を日本による一方的な侵略戦争だと思っている日本人は少ないでしょう。

大東亜戦争だって、日本には日本なりの戦わねばならぬ理由があってのことだったのです。

さて、そもそも国家としてのウクライナの歴史は浅い。

もともとウクライナは、西ウクライナに住む人たちと、東ウクライナに住む人たちとでは宗教も異なれば、民族も異なり、言語も異なります。

そうした異なる人たちを強引に一つの国として括られてしまったのはレーニンの時代です。

因みに、第二次世界大戦中、西ウクライナに住む人たちはナチスに命ぜられるままにユダヤ人狩りをやったことで知られています。

さらには、ロシア人を極度に憎んでいた民族であるガリツィア人をもウクライナに編入してしまったのはスターリンです。

ガリツィア人といえば、強制収容所でナチスばりの殺戮をロシア人に対して行ったことで知られています。

要するに建国以来、東ウクライナに住むロシア系住民は常に西ウクライナに住む人たちからの脅威に晒されて生きてきたのです。

だからこそ、東ウクライナに住むロシア系住民の安全な暮らしを確保するために「ミンスク合意」という協定が、フランスとドイツの仲介のもとにウクライナとロシアとの間で結ばれたわけです。

そのミンスク合意を一方的に破棄したのは、ゼレンスキー側であってプーチン大統領ではありません。

また、1991年にソビエト連邦が崩壊した際、当時のブッシュ米大統領(パパブッシュ)は、「NATOは1インチも東方に拡大しない」とロシアに約束しましたが、それを反故にしたのも米国です。

1インチどころか、旧東欧諸国を次々とNATOに加盟させていきました。

ロシアに国境を接するジョージア(グルジア)や、ウクライナまでもがNATOに加盟すれば、ロシアの安全保障が大いに脅かされることは、少しばかり軍事と地政学をかじった者なら誰にでも理解できる話です。

なんと米国は、それを具現化しようとしたのです。

米国がロシアを裏切ったのはそれだけではありません。

ソビエト連邦が崩壊した際、米国はロシアに対し「民主化のすすめ…」みたいな提案をし、いわゆる「ショック・セラピー」と言われる構造改革を断行しました。

そのとき、経済顧問としてロシアに送り込まれたのが、主流派経済学者のジェフリー・サックスです。

ショック・セラピーによって、例えばロシアの天然資源が実体価格の2〜3%で民間(オリガルヒ)に払い下げられています。

あるいはロシアの医療制度も破壊され、わずか10年でロシア人の平均年齢が10歳も縮んでしまいました。

こうしたショック・セラピーと呼ばれる一連の構造改革で大儲けしたのは、ロシアの新興財閥オリガルヒであり、ウォール街の例えばゴールドマンサックスであり、ジョージ・ソロスたちです。

プーチン大統領をはじめロシア人からしてみれば「話が違うじゃないか!」となるのも宜なるかな。

米国の国家情報評議会の議長であったフリッツ・エルマースは、米国議会で「米国がロシアで行ったことは犯罪行為である」と証言してます。

その国が戦争に至るまでには、それなりの歴史があることを知るべきです。

歴史を知らずして、「〇〇の一方的な侵略だぁ」と叫ぶのは実に幼稚です。