未だ衰えを知らぬ新自由主義

未だ衰えを知らぬ新自由主義

米国の主要企業の経営者によって構成される組織、ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)は2019年に「企業の目的に関する声明」を表明しました。

その声明とは、株主を最優先にする“株主資本主義”から離れ、あらゆるステイクホールダー(利害共有者)へのコミットメントを重視していく路線へと移行していくことを望む、というものでした。

つまり、企業の目的を「株主」だけでなく、あらゆるアメリカ人に貢献する経済を促進することへの見直しを求めたわけです。

なるほど、我が国の経団連,日本商工会議所,日経連,経済同友会などの経済団体とはえらい違いです。

ご承知のとおり、世界では1980年代以降、あらゆるタイプの経済格差が拡大しました。

米国の場合、ボトム90%の所得が実質的に横ばいをたどった一方、トップ0.01%の所得はなんと5倍も上昇しました。

1960年代には労働者の20倍程度の所得を稼いでいた経営者(最高経営責任者=CEO)がいましたが、それがいまや米国のCEOは労働者の平均所得の287倍の所得を得ています。

所得(フロー)だけではなく、富(ストック)の格差はもっと大きく、世界の他の地域でも同様のことが起きました。

一方、世界の主要企業は年々大きくなり、大きくなるにつれ市場支配力を高め、コミュニティや政府との関係も変化していきました。

変化したというより、各種のコミュニティは破壊され、政府機能は財政を含めて小さくされていったのでございます。

かつて企業は帰属する各種コミュニティと密接な関係を築いてきましたが、1990年以降、そのつながりは時とともに希薄化していきましたし、多くの大企業が知的財産や移転価格税制の穴をうまく利用して利益の最大化を試みました。

これらの企業のことを「信頼できない納税者」と揶揄する人たちもおります。

とりわけ、企業が経済成長とは無関係に拡大するようになると、金融企業は長期的な持続性を犠牲にして短期的な結果を模索するようになりました。

こうして、企業と社会の絆は形骸化していったのです。

我が国の場合、25年にもおよぶデフレ経済により、すなわち政府の緊縮財政(収支の縮小均衡)により、国民経済の発展のために必要とされた投資が官民ともに蔑ろにされてきました。

政府は専ら緊縮財政(PB黒字化)と規制緩和に専念し、企業と株主はひたすらに4半期利益を追及してきました。

4半期利益追及主義に異を唱えたBRTは、「企業はどこで活動しようとも、公正な価格、サラリー、税金を支払うことにコミットしなければならない」としています。

その上で、株主資本主義からステークホルダー資本主義(公益資本主義)に転じるべきだことを表明したわけです。

実にご尤もなことです。

むろん、株主資本主義を正当化してきた思想こそ、新自由主義(ネオリベラリズム)です。

岸田総理は、その就任時に「小泉以来の新自由主義を見直し、新しい資本主義を…」と表明したのはご存知のとおりですが、一向にその具体的な行動はみられません。

さて、2003年に地方自治法が改正され、『指定管理者制度』が導入されたのをご存知でしょうか。

『指定管理者制度』とは、公の施設を民間事業者等に管理してもらう制度のことです。

これもネオリベラリズムに基づく「構造改革」の一環でした。

各自治体の経費を減らすことを目的に、公の施設の運営を、安い人件費で人を雇える民間事業者に丸投げするというスキームになっています。

ネオリベラリズム政権であった小泉内閣としては、各自治体の経費を減らすことで、国の地方交付税交付金や国庫補助金を削減したかったのです。

現在、川崎市議会の9月議会が開会中ですが、川崎市立の図書館や市民館を「指定管理」にする議案が上程されています。

これに反対するのは、私と共産党だけです。

いまだ我が国は、ネオリベラリズムの中にあります。