50步51步の貨幣観

50步51步の貨幣観

防衛費増額に必要な財源を確保するために、岸田内閣が増税を目論んでいることは周知のとおりです。

それに対して野党第一党である立憲民主党は「合理性や公平性を著しく欠いている」としたうえで、不足する財源は所得税の累進性や金融所得課税を強化することで財源を確保するよう求める方針らしい。

結局、立憲民主党もまた自公政権同様に「税は財源」という呪縛に取り憑かれており、財源に対する考え方は五十歩百歩です。

ていうか、五十步五十一步と言ってもいい。

何度でも言おう。

変動為替相場制を採用し、自国通貨建てで国債を発行できる政府にとっては「税=財源」ではなく、税を徴収する目的は別にあります。

むろん歴史的には、中世の絶対王政や封建諸侯たちが税を財源としていたのは事実です。

確かに彼らは、金貨・銀貨などの何らかの貴金属的価値の裏付けをもつおカネを民から税として徴収し、それを財源としていました。

わが国においても、江戸時代の幕府や諸藩もまた同様でした。

金貨・銀貨こそがおカネであり、それを税として徴収することが安定財源の確保だったわけです。

しかしながら、少なくとも1971年にリチャード・ニクソン大統領がドルと金の兌換を停止して以来、主権通貨は貴金属の裏付けを持っていません。

例えば、1万円札そのものの物的価値は22円程度で、要するに1万円札をつくるのに1万円を必要としないわけです。

また、主権通貨国にとっての国債発行量は通貨発行量にすぎないものになりました。

そもそも、おカネ(貨幣)とは「負債(借用書)の特殊な一形式」のことです。

いわゆる「信用貨幣論」ですが、これこそが正しい貨幣概念です。

信用貨幣論によれば、政府も民間銀行も「無」から貨幣を創造することができます。

例えば民間銀行は、貸し出しを行うことによって、預金(負債)という貨幣(預金通貨)を生み出しています。

因みに、これを「信用創造」と言います。

世の多くの人々は「民間銀行は企業や個人から預金をかき集めて、それを又貸ししている…」と理解して疑いませんが、これは明らかな誤解です。

実際には、民間銀行は企業や個人に貸し出しを行うことで、預金という貨幣(預金通貨)を「無」から生み出しています。

では、具体的な事例で見てみましょう。

〇〇銀行が、100万円を借りたいという企業Aに対して貸し出しを行う際、単に〇〇銀行は企業Aの銀行口座に100万円と記録(記帳)するだけです。(キーストローク・マネー)

その瞬間に、100万円という預金(貨幣)が「無」から生み出されているのです。

そして企業Aが収益を得て、借りた100万円を〇〇銀行に返済すると、100万円という貨幣は消滅します。

このように貨幣とは、民間銀行の貸し出しによって「創造」され、民間銀行への返済によって「消滅」するものです。

お解りでしょうか、貨幣は銀行の貸し出しによって「創造」されるわけですから、貨幣が創造されるためには、貸し出し先となる企業の資金需要を必要とするわけです。

即ち、貨幣を創造するのは、究極的には「企業の需要」です。

もちろん、貸し出し先の企業に返済能力がなければ、銀行は貸し出しを行えません。

であるからこそ、銀行は厳格な与信審査を行います。

しかしながら、その企業に返済能力がある限り、銀行は企業の需要に応じていつでも貸し出しを行う(貨幣を供給する)ことが可能なのでございます。

政府に対する貸し出しについても同様です。

政府には、常に何らかの需要(例えば、防衛力を強化しなければ国民を守りきれないという需要)があるわけです。

民間銀行が企業に貸し出しを行うように、政府の場合は、中央銀行が政府に貸し出しを行います。

やはりその際、貨幣が「創造」されます。

そして政府は、創造された貨幣を支出します。

その貨幣は、民間部門(企業や家計)に供給されることになるわけですが、民間部門に貨幣が供給されすぎると、景気が過熱しインフレ率が急激に上がってしまうので、政府は課税によって民間部門から貨幣を徴収し、それを中央銀行に返済します。

返済されると、貨幣は「消滅」します。

こうした貨幣が循環する過程は、貸し出し先が政府の場合も、企業の場合も基本的に同じです。

ただし、企業と政府とでは、決定的に大きな違いがあります。

企業に貸し出しを行うためには、その企業に返済能力がある必要がありますが、近代国家における政府は、通貨発行権を有していますので返済能力に制約はありません。

そして、政府の子会社である中央銀行は、政府の需要に応じていくらでも貨幣を創造し供給することができます。

因みに、日本銀行による国債の直接引き受けは原則禁止されていますが、市中消化の場合でも、基本的な原理は同じです。

ありがたいことに、こうした中央銀行制度があるおかげで、日本政府は税収が元手になくても、中央銀行が「無」から創造した貨幣を得て、支出を行うことができるのでございます。

政府が税収を考えるのは、国内の供給能力が限界に達してインフレ率が急上昇したときであって、はじめから財源として税収を考えるのは間違いです。