第一次世界大戦の教訓

第一次世界大戦の教訓

月日は百代の過客とはいえ、時が経つのは実に早いもので今年も残すところあと一月半となりました。

本日、11月11日は、第一次世界大戦が終結した日です。

1918年のこの日、ドイツと米国が第一次停戦協定に調印し、4年あまり続いた第一次世界大戦は終わりました。

第一次世界大戦は日本にあまり関係がなかったように誤解されていますが、実はその後の我が国の命運に大きな影響を与えています。

大戦がはじまって以来、ドイツ戦に劣勢を強いられていた英国は、さかんに日本に参戦を求めました。

しかしながら当時の日本は、日英同盟を締結していたとはいえ当該同盟の対象範囲はインドまでとされていたことから日本政府としては参戦にはあくまでも慎重な姿勢を貫きました。

ところが、そうしている間にも「英国の商船がドイツ軍に撃沈された…」というニュースが後を絶ちませんでした。

そこで、ようやく日本は要請に応じて参戦を決意。

ここが大事で、我が国は要請に応じて渋々参戦したのです。

参戦したと言っても海軍は地中海に派遣されたものの、陸軍は青島(チンタオ)などのドイツ領を占領するに留まる程度で、陸軍は最後までヨーロッパ戦線には参加していません。

残念ながら、このことが裏目にでます。

日英同盟を疎ましく思っていた米国が、日英同盟を形骸化及び破棄させる理由の一つとして後にこのことを使ったのです。

というのも、日本が東アジアのドイツ領を占領していたころ、米国は英国と同盟関係になかったにもかかわらず、ここぞとばかりに軍艦141隻を派遣し、陸軍を過酷なヨーロッパ戦線に派兵しています。

結果、米国陸軍は大量の戦死者を出しながら英国をはじめとした連合軍に勝利を導いたわけです。

米国からすると、日本は第一世界大戦に渋々参戦し、火事場泥棒的にドイツ領を掠め取っただけに見えたことでしょう。

案の定、大戦が集結した後、米国は英国に「日英同盟」を破棄し、これに代えて新たに「米英日蘭の4カ国同盟」を提案します。

米国に大きな借りを作った英国は、これに同意せざるを得ませんでした。

日英同盟が米英日蘭同盟へと変更されたとき、米国の国務長官は次のように述べています。

「これで、ロックだったウイスキーを水割りにすることができた…」

二国間同盟を多国間同盟に変えたことにより、その同盟効力は弱まるからです。

我が国の近代史を俯瞰すると、日英同盟が破棄されて以降の日本は、まるで坂を転げ落ちるようにして「あの敗戦」に突き進んでいったことがわかります。

いわば、日英同盟があったからこそ我が国は日露戦争にも勝利できましたし、日英同盟があったからこそ米国は日本に手出しできませんでした。

皮肉にも日英同盟が破棄されてのち、ちょうど20年後に日米戦争が開戦されています。

兵を出すべきときには躊躇することなく出しておかねば、後で大きな代償を払わされることになる歴史の教訓がここにあるように思えます。

政治の世界では、あまりにも建前論にこだわりすぎると、かえって国民を不幸に導く結果となることが多い。