1970年代の「スタグフレーション」との違い

1970年代の「スタグフレーション」との違い

きのうの閣議で、山際経済財政担当相から2022年度の『経済財政白書』が提出されました。

因みに「白書」とは、各省庁によってそれぞれ作成される年次報告書のことで、閣議決定を経て正式な白書となります。

さて、今年度の『経済財政白書』をみると…
新型コロナウイルス感染拡大による経済の落ち込みから回復が続く一方、ロシアによるウクライナ侵攻などの影響で物価が高騰しているものの、インフレと景気悪化が同時に起きる「スタグフレーション」の状態にはないとの判断をしつつ、物価上昇に見合った安定的な賃金引き上げが重要である
…とのことです。

スタグフレーションとは景気悪化(Stagnation)と物価上昇(inflation)をかけ合わせた言葉ですが、白書にあるように、経済財政担当相がスタグフレーションであることを認めないのは「現在の経済情勢は、デフレ(低迷)経済ではない」という建前からでしょう。

しかしながら、日本経済が依然としてデフレ経済下にあることに疑いの余地はなく、その上でエネルギーや食料を中心に円安で輸入品価格が上昇していることから物価が押し上げられているのも事実です。

ただし、スタグフレーションはスタグフレーションでも、1970年代に我が国に襲いかかったスタグフレーションと、目下進行中のスタグフレーションではその要因がまるで異なります。

ご承知のとおり、1970年代のスタグフレーションの要因は、①第4次中東戦争(1973年)と②イラン革命(1979年)に伴う石油価格の高騰です。

これに対して、現下のスタグフレーションは、ロシアによるウクライナ侵攻だけではなく、リーマンショック以降の世界的な長期停滞、米中貿易戦争、コロナ禍、あるいは脱炭素化にみられるように環境制約の過度な高まり等々、複数の要因が重なって供給制約がもたらされています。

それに、当時と現在では社会的背景もだいぶ異なります。

当時の我が国は人口増加過程であるのに対し、現在は少子高齢化により人口減が続いています。

とりわけ少子高齢化は、日本や先進諸国に限らず、今や中国ですら見舞われていることで、その結果、生産年齢(15〜64歳)人口減少に伴って世界的な供給制約が生じています。

さらに言うなれば、1970年代当時は国境を前提としたインターナショナルな世界であったのに対し、現在は国境を否定した弱肉強食のグローバリズム世界の失敗がようやく認識されはじめた時期にあることです。

20世紀末以降、グローバリゼーションの潮流によって各国は株主資本主義化を進め、株主利益を第一に考えるグローバル企業は供給能力の海外依存を高め国内の供給能力を空洞化させてきました。

こうして先進諸国で顕著になっていった株主資本主義化や緊縮財政が、中長期的な設備投資や公共投資を抑制していき、先進諸国、とりわけ日本の供給能力を弱体化させたのでございます。

ようやくグローバリズムの世界的な見直しがはじまったものの、一度失われてしまった供給能力を取り戻すのは困難なことです。

要するに、目下のスタグフレーションは、1970年代のそれよりも遥かに複雑で深刻なのです。

しかしながら、現下のスタグフレーションを1970年代のそれよりも複雑で深刻なものにしたものが「グローバリズム」なのですから、考え方としては、その処方箋は実に単純なものになるのではないでしょうか。

つまりは、政府介入を悪としてきたグローバリズムと真逆のことをすればいい。

真逆とは即ち、政府の役割を拡大強化することです。

例えば、PB黒字化目標を破棄した上で健全財政から積極財政に転じ、国防、エネルギー、食料、物流等々の安全保障を強化する。

そしてインフラ投資の拡大はもちろん、各企業の設備投資、技術開発投資、人材開発投資に対する投資減税や投資補助を充実するなどの財政措置を施し、各種供給制約の緩和をはかる。

そのうえで、国民生活の安心安全の確保のために資金や人的、社会的な資源を最大限に動員することができればデフレ経済を克服することもできますし、この複雑にして深刻な危機を乗り切ることも充分に可能だと思います。

もはや、この道しかない。