イラン各地で広がっていた政府への抗議デモですが、発生から二週間余りが経ち、現在は表面上、おおむね沈静化したと報じられています。
ただし、これは抗議の原因が解消されたとか、人々の不満が消えたということを意味するわけではありません。
その背景には、インターネットをはじめとする通信の遮断と、当局による徹底した弾圧があり、抗議の実態そのものが、国外から、そして国内でも見えにくくなっているという現実があります。
最近の報道では、こうした通信遮断が経済活動にも深刻な影響を及ぼし、企業活動や取引そのものが停滞している実態も伝えられています。
死者数についても、数千人規模に達している可能性が指摘されていますが、騒乱の全容はいまだ明らかになっていません。
それでも、断片的に伝わってくる情報をつなぎ合わせていくと、当局が強力な統制と抑圧によって抗議行動を封じ込め、結果として沈静化がもたらされた、その構造の一端が見え始めています。
デモに象徴される社会不安の一因として、イランが長年抱えてきた水資源問題があります。
イランでは、自然要因や環境要因によって水資源が逼迫する中、水を公共財として管理するのではなく、権力と結びついた供給ビジネスとして拡大し続けた結果、地下水の過剰汲み上げと水循環の破壊が止められなくなりました。
その中で、革命防衛隊系企業を含む権力構造が水インフラを担う主体となり、政策修正が不可能な状態が固定化され、今日の「デイゼロ」危機に至っています。
水の供給量を増やすこと自体が政治的成果となり、短期的な安定や正統性を支える一方で、その副作用が長期的に蓄積していく制度設計が、結果として自らを修正できない構造を生み出しました。
供給を拡大すればするほど、地下水は失われ、水循環は壊れ、しかし同時に、供給を止めることが政治的にも制度的にも不可能になる――そのような自己強化ループが形成されたのです。
この構造がもたらす帰結は、いまや環境問題の域を超え、国家の存立そのものを揺るがしています。
水は生活の基盤であり、農業、都市機能、衛生、そして治安に直結します。その供給が不安定化すれば、人々の不満は政治や体制へと向かわざるを得ません。
イラン各地で続いてきた抗議行動は、こうした「生存条件の劣化」がもたらした必然的な帰結だったと言えるでしょう。
もっとも、イランの水危機と、それを背景とする社会不安は、特定の体制や為政者の資質を論じる問題ではありません。
自然条件の制約の中で、何を公共財として管理し、どのような供給能力を維持するのか。
その選択と制度設計が、長い時間をかけて国家の存立条件を規定していく――イランの現状は、そのことを如実に示しています。
ヴェネズエラが経験したように、人々の生存を支える物資や公共サービスの供給が滞ったとき、いかなる体制であれ、その統治は持続し得ません。
体制の存続を左右するのは理念でも制度の名称でもなく、供給能力が維持されているかどうかです。
イランの事例は、この冷厳な条件を、否応なく示しています。


