なぜ「中道」は空虚に響くのか――自由と民主、そして国民国家

なぜ「中道」は空虚に響くのか――自由と民主、そして国民国家

立憲民主党と公明党が、「中道改革連合」という新党を立ち上げました。

野田佳彦代表と斉藤鉄夫代表が並んで会見に臨み、新党は「中道」という略称を掲げたとのことです。

しかし、この党名を見て、どうしても疑問が湧きます。

彼らは「中道」という言葉の意味を、どこまで理解しているのでしょうか。

中道とは、単に右でも左でもないという、位置取りの問題ではありません。

ましてや、対立を避けるための無難な中間地点でもありません。

本来の中道とは、自由と民主をいかに同時に成立させるかという、極めて難しい政治思想上の課題に向き合う立場です。

この点を考える上で有益なのが、京都大学の柴山桂太教授が示す、現代政治体制の四分割の整理です。

柴山氏は、世界の政治体制を「リベラル(自由主義)/非リベラル」と「民主主義/非民主主義」という二つの軸で整理します。

この整理によって、私たちは重要な事実に気づかされます。

自由主義と民主主義は、もはや自動的に結びつくものではなくなっている、という現実です。

EUは、リベラルな価値を掲げながら、超国家官僚による統治によって「民主主義の赤字」を抱えています。

一方で、ハンガリーやポーランドでは、民主的に選ばれた政権が、自由や権利を制限する「非リベラル民主主義」が広がっています。

世界は、単純な「自由主義陣営 対 権威主義陣営」という二分法では捉えられない時代なのです。

むしろ、自由と民主の分離こそが、現代政治の核心的問題です。

ここで、ナショナリズムという言葉が決定的な示唆を与えます。

ナショナリズムとは、排外主義でも感情的愛国心でもありません。

それは、「主権をもつ国民が、自らのルールを自ら決定する」という、政治の基盤となる原理です。

自由主義も民主主義も、本来は国民国家という枠組みに埋め込まれて、はじめて機能してきました。

しかし、グローバル化と超国家統治の進展によって、このナショナリズムが切り離されてしまったのです。

その結果生まれたのが、EUに典型的な「リベラルだが非民主的」な体制であり、同時に、その反動として噴き出したのが、「民主的だが非リベラル」な政治運動です。

つまり、今日の混乱は、極端な左右対立の結果ではありません。

ナショナリズムを否定したリベラル秩序が、自ら民主主義を空洞化させた結果なのです。

この構造を踏まえたとき、「中道改革連合」という党名が、いかに空虚に響くかが分かります。

それは、彼らの言う「中道」が、自由や民主といった理念から定義されたものではなく、他者を「右翼」と位置づけることによって初めて成立する、相対的な位置取りにすぎないからです。

彼らは、

・自由と民主がなぜ分離したのか
・国民国家の主権がなぜ空洞化したのか
・その結果、なぜポピュリズムが拡大したのか

これらの問いに、どこまで向き合っているのでしょうか。

もし「中道」を名乗るのであれば、それは「過激を避ける」という態度では足りません。

本当の中道とは、自由を守るために民主を問い直し、民主を守るために国民国家を再評価する立場です。

世界の分断構造と、ナショナリズムの剥奪と回帰。

この二つを踏まえずして、「中道」を語ることはできない。