国際安全保障をめぐる議論では、しばしば次のような言葉が交わされます。
「この指導者は好戦的だ」「あの政権は平和主義だ」「誰がトップになるかで世界は変わる」。
しかし、国際政治の現実は、こうした直感的な理解とは大きく異なります。
結論から言えば、国際安全保障の中核領域においては、指導者に自由な選択肢はほとんど存在しません。
それは個々の政治家の資質や思想の問題ではなく、国際構造そのものが、選択肢をあらかじめ消去してしまうからです。
国際社会には、国内社会のような警察も裁判所も存在しません。
国家の生存を最終的に保証してくれる上位権力はなく、各国は自らの安全を自ら確保するほかありません。
その結果、各国は他国の意図ではなく、能力の変化に敏感にならざるを得なくなります。
この「無政府状態」においては、国家の最優先課題は一貫して生存です。
理念や善意は否定されませんが、それらが通用するのは、生存が脅かされていない場合に限られます。
この前提に立てば、国際政治は道徳の競争ではなく、パワーバランスの管理として現れます。
リアリズム、特にジョン・ミアシャイマーの理論が強調するのは、「指導者が何を望むか」よりも、「何をせざるを得ないか」です。
国際構造は、次のような形で指導者を縛ります。
・他国の軍事力・経済力の変化
・同盟と敵対の配置
・地政学的位置
・最悪の事態を想定せざるを得ない合理性
これらが組み合わさることで、「やりたい政策」ではなく、「やらなければならない政策」だけが残る状況が生まれます。
その結果、誰が指導者になっても、大戦略の方向性は大きく変わりません。
現在の米中対立も、指導者の性格や価値観によって生じたものではありません。
中国は人口と経済力を背景に、東アジアでの影響力を急速に拡大しています。
これは善悪の問題ではなく、大国が力を持てば自然に生じる行動です。
一方、米国にとって、他国が地域覇権国となり、安全保障上ほぼ無敵の地位を得ることは容認できません。
なぜなら、それは必ずや軍事力や影響力の域外展開を伴い、最終的に自国の安全を侵食するからです。
このため、米国の指導者は誰であれ、中国を封じ込め、同盟網を強化する方向から離れることはできません。
これは政権の思想ではなく、国際構造が課す必然です。
日本についても同じことが言えます。
米中対立が先鋭化するなかで、日本の指導者に「完全な中立」や「対中対抗からの離脱」という選択肢は、現実的には存在しません。
それは、日本がアメリカに従属しているからではなく、日本の地理的位置と東アジアのパワーバランスが、そうした選択肢を許していないからです。
誰が首相であっても、安全保障政策の大枠が大きく変わらないのは、まさにこのためです。
「指導者に選択肢はない」と言うと、それは宿命論ではないか、戦争を正当化する議論ではないか、という反発が生じがちです。
しかし、リアリズムの狙いは正反対にあります。
幻想を捨て、なぜ衝突が繰り返されるのか、どこに本当のリスクがあるのかを、冷静に理解すること。
すなわち、意図や善悪ではなく、構造を見よ、ということです。
そこからしか、現実的なリスク管理も、責任ある選択も生まれません。


