成長を支えた職人気質と共生

成長を支えた職人気質と共生

「中国と日本には大きな違いがあり、中国経済は大きな減速に向かっている…」

これは、2008年にノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者ポール・クルーグマンの言葉です。

氏が日本と中国の二つの国がもつ特性の違いを指摘した講演会が話題になったことがあるのですが、そのときの言葉です。

その講演会には、学生のみならず、一流企業のCEOやアナリストたちも参加していたらしい。

講演テーマは、「各国の発展の仕方」でした。

我々人類が積み重ねてきた長い歴史のなかで、驚異的な経済成長は何度も見られてきました。

イギリスをはじめ、アメリカ、スペイン、ドイツ、日本の各国で産業革命が起きました。

21世紀に入って急激な発展を遂げたのは、中国とインドです。

そのなかでクルーグマン教授は、同じ東アジアでありながら「異なる発展」を遂げた日本と中国に着目しました。

欧州など他の地域の国々からみると、東アジアの発展国として一括りにされがちな日本と中国ですが、「経済学の観点からみると、日本と中国には大きな違いがある!」とクルーグマン教授は断言されたのです。

クルーグマン教授は、日本は技術や文化を中心に経済を発展させてきた、と言います。

とりわけ、日本経済を支えてきたのは日本人独自の「職人気質」と「共生」である、と。

そして教授は次のように続けます。

少し長いですが、ご紹介します。

「日本経済の成長は単なる偶然の産物などではなく、日本人の心理と行動を分析すれば日本が先進国たる所以は明らかである。日本人は社会を生きる上でお互いを支え合うことで社会生活を成立させている。仕事に対する姿勢は世界では珍しい職人気質の傾向があり、儲かるか儲からないかという目先の損得だけではなく、それは長い目でみて社会に役立つものなのか、あるいは未来へ繋げていけるものなのかという部分に重きを置いた結果、技術産業の発展に繋がったのだ」

それに対し、90年代以降の中国の成長は「外国資本を獲得し、農村地域からの出稼ぎ労働者というコストのかからない豊富な労働力を獲得していた。そのことで製造業を中心とした労働集約型産業において優位性を獲得し、世界の工場と言われるまでに拡大していった。しかしながら、長所であった人口は伸び悩み、労働力のコストが上昇したことにより、これまで中国経済の発展を支えてきた外国資本は次々と中国から撤退をしていった。技術力と教育力が原因で、中国経済は大きな減速に向かうであろう」

面白いのはここからで…

これを会場で聞いていた中国人の大学教授が、次のようにクルーグマン教授に噛みつきます。

「今では日本ではなく、中国こそがアジアを代表する国であって、中国経済は減速などしておらず、いずれは世界最高の先進国になる。電子製品や半導体などの先端技術の発展にも尽力しており、これらは中国の主要な輸出品の一つとなっている。たとえ海外資本が撤退した後でも中国国内の企業が引き継いでやっていける力がある。さらに日本やアメリカなどに比べて安価で物をつくることができる」

これに対して、クルーグマン教授が反論。

「中国が今でも先端技術において世界の工場としての役割を果たしているという点は認めます。中国産の電子製品や家電製品が、世界中に広まっているのも事実です。しかしこのような状態が長く続くことはないでしょう」

中国の拡大が続いていることは認めながらも、その持続性に疑問を投げかけているわけです。

加えてクルーグマン教授は「中国の技術力を安価に提供するという行いは、たいへんに懸念すべき問題である」とした上で、「その技術は、いったいどこで生まれたのか?」と逆に問いました。

クルーグマン教授は畳み掛けるように「中国のエリートたちは海外の企業に就職し、その企業の技術を奪っている。あるいは外国資本の優秀な人材を、多額のおカネを積んで引き抜き、技術そのものを中国に提供させている。そうして手にした技術をチベットなどの地域で使い、多くの人々に強制労働をさせている。それに中国政府は企業に多額の補助金を支給して輸出させているではないか…」とも。

なるほど、およそ10ドルという非常に安価なブルートゥース・イヤホン、数十ドルというスマホはこのように作られ、世界中に輸出されているわけですね。

これが世界の工場の正体です。

要するに、安価な中国製品の裏には、他国からの技術の略奪、労働力の搾取、そして補助金という政府ぐるみの策略があったわけです。

堪りかねた中国人の教授は、再びクルーグマン教授に噛みつきます。

「中国人が市場を独占できているのは市場に魅力的な価値を提供できているからだ。価格もそのなかに含まれているはずで、安易に独占しているわけではない。日本の任天堂やトヨタだって事実上独占しているようなもので、中国企業に限った話ではない。それに日本産の価格は基本的に高額で、消費者が気軽に手を出せるものではない。それに比べて中国製は安価で末端消費者にまで届けられる利点がある。そもそも“共生”なんて言うけれど、そんな曖昧なものに何の価値があるのか…」と。

すると、クルーグマン教授はすかさず反論。

「今あなたが挙げた日本の企業は無理やり独占を勝ち取ったわけではありません。おのおのが魅力のある市場に出し、消費者がそれを自分たちで選び、好んで購入しています。なによりも各企業が利益のみを追求しているのではなく、日本人らしい職人気質から誕生したもので、消費者に価格に見合う価値を提供し、消費者も納得の上で購入しています。高い価格についても、決して価格の操作をしているのではなく、上質な部品やそこに至るまでの開発費もあるのでしょう。日本企業はあくまでも市場との共生をしているのです。あなたにはこの価値がわからないのでしょうか?」

なるほど、クルーグマンの言う「共生」とは、企業と消費者、すなわち市場との共生という意味だったのですね。

ただただ、クルーグマン教授の慧眼に敬服するばかりです。

しかしながら、これら日本人の職人気質と共生は、90年代以降の愚かなる「新自由主義」政治によって既に破壊されつつあります。