『太平洋戦争の歴史』の呪縛

『太平洋戦争の歴史』の呪縛

1941年12月8日、我が帝国海軍が真珠湾を攻撃したことで、米国、英国を相手に戦端が開かれました。

その4日後の12月12日、すなわち82年前の今日、当時の東條内閣は「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と閣議決定をしました。

戦後の私たちは学校教育において、日本が戦った世界大戦(WW2)のことを「太平洋戦争」と呼ぶように教育されてきました。

テレビや新聞等においても、必ず「太平洋戦争」という言葉が使われています。

例えば「昭和20年8月15日、玉音放送により太平洋戦争が終結した…」みたいに。

これがいわゆる「太平洋戦争史観」です。

とはいえ、日本が太平洋で戦った相手は米国だけです。

言うまでもなく、第二次世界大戦において我が国が戦った相手は米国だけではありません。

インド洋では英国と戦い、インドネシアではオランダと戦い、シナ大陸では英米に支援された蒋介石軍と戦っています。

これらを総称して「太平洋戦争」と称して括るのは、いかにも不自然です。

であるからこそ、ときの内閣は「大東亜戦争」と呼称することを閣議決定したわけです。

因みに日本軍は、インド洋の遥か向こう、アフリカ南東部沖に浮かぶ巨大な島国であるマダガスカル(当時、フランスの植民地)にまで赴いていますので、もしかすると「大東亜」でも狭いのかもしれず…

さて、かの戦争を「大東亜戦争」ではなく、「太平洋戦争」と呼称させたのは、むろんGHQです。

マッカーサーは、次代の日本を担う子どもたちに「敗北」の意味を叩き込むために『太平洋戦争の歴史』を全国の小中学校に5万部配りました。

『太平洋戦争の歴史』は、むろん勝者からみた「歴史」でした。

というか、米国は戦争中の昭和19年の時点で既に『太平洋戦争の歴史』を編纂しはじめていました。

ミッドウェーの海戦以降の米国は、あの戦争に勝利することを確信していたのでしょう。

私たち戦後の日本人は、『太平洋戦争の歴史』を刷り込まれてきましたが、当然のことながら、勝者からみた歴史では、真実に肉迫することはできません。

私が川崎市議会議員として、本市教育委員会が発行する副読本から「太平洋戦争」の文字を削除させたのは、その一環です。

勝者の視点でもなく、敗者の視点でもない、客観的かつ俯瞰的な視点によって私たち日本国民は「あの戦争」を一次史料から紐解き、少しでも真実に肉迫しなければならない。

歴史を教訓にすることができなければ、未来に希望をもつことなどできないのですから。