「改革」の総括が必要

「改革」の総括が必要

我が国においては、ネオリベラリズム(新自由主義)経済が加速したのは1990年代からのことです。

考えてみると1990年代とは、戦前・戦中を生き抜いた人たちが政財界から退いていき、まさに「戦争を知らない子どもたち」世代が、とりわけ政治の世界において支配的な地位を確立しはじめた時期だったと思います。

親米教育を受けて育ったスポイルド・チルドレンたちは権力を手にして、「抜本的改革」だの、「構造改革」だのと言って、嬉しそうにアメリカ流の資本主義を導入していったのです。

政治家の中には「米国は日本がなくても生きていけるが、日本は米国なしには生きていけない…」とまで言った与党幹部がいたほどです。

彼ら彼女らが信奉した「アメリカ流の資本主義」が言うところの成長理論とは、あらゆる経済規制を緩和・撤廃して自由なる競争市場を形成すれば、立て続けにイノベーションが引き起こされ、そうしたイノベーションの連続が経済成長の源泉となる、というものです。

しかし、そう設計どおりにはいきませんでした。

もともとイノベーションという言葉は「新しいモノの中に入っていく」という意味ですが、かの有名な経済学者・シュンペーターは次のように言っています。

「資本主義を追及する世では、イノベーションに成功した者が必ず独占利潤を獲得する。即ち、急激なイノベーションの連続は次々と寡占化、独占化をもたらし、それがやがて巨大化する。結果、自由(経済における自由)を実現するどころか、かえって自由を否定することになる。そして終には資本主義そのものまでをも破壊するであろう…」

アメリカ流の資本主義を追求した世界は実際にそうなりました。

巨大な金融資本、あるいはGAFAに代表されるような巨大な独占・寡占企業が生まれた一方、各国の中小・零細企業は疲弊し、中間所得層としての労働者は資本家の奴隷的存在となって貧困化していきました。

イノベーションによる利益を最大限に獲得するのは資本家たちであり、その利潤は主として株主への配当金へと変わり、労働分配率は縮小していったのです。

これでは、世の人口の圧倒的多数を占める労働者たちの購買力が高まるわけもなく、当然のことながら消費需要は低迷していくことになります。

需要の減退は、自然、イノベーションのための投資を縮小させることとなります。

イノベーションなき経済において、資本家たちが更に儲けるためにどうしたか…

法律や制度を変えることで「既存企業から既存需要を奪えばいいじゃん…」となったわけです。

例えば電力の自由化は、規制緩和によって生まれた新電力(小売電力事業者)が新たな需要を生み出したわけではありません。

既存の需要を既存の電力会社から奪ったに過ぎない。

あるいは労働規制を緩和することで、正規社員を減らし、非正規社員を増やしましたが、そのことで人材派遣というビジネスを生み出したのもそれに当てはまります。

これまた新たな需要を生み出したわけではなく、正規社員の給料を非正規にすることで安くし、その差額を人材派遣会社がピンハネしているに過ぎない。

このように、経済活動におけるイノベーションではなく、政治の力を利用して法律や制度を変え、自分たちの懐にチャリンチャリンとおカネが入ってくる仕組みをつくる人たちのことをレントシーカーと言います。

アメリカ流の資本主義、及びそれを支える経済思想「ネオリベラリズム」は、我が国にこの種のレントシーカーたちを生み出しました。

そして、こうしたレントシーカーたちをはじめ、ネオリベラリズム経済で儲ける人たちのビジネスを邪魔するものが、実は政府による財政支出の拡大です。

彼らが緊縮財政を求めるのはそのためです。

なお、そうした彼らの要求が、財政収支の縮小均衡を正義とする財務省の省益と一致していることが実に不幸です。

このような政治的な背景から、平成時代の我が国においては、あらゆる分野で緊縮財政による供給能力の毀損が生じました。

例えば医療。

緊縮財政の煽りを受け、上のグラフのとおり全国の病床数が減らされ続けてきたのは周知のとおりです。

コロナ発生当初、人口が約880万人の大阪府の重症者ベッド数は、たったの107床しかありませんでした。

その107床のうち、50床が埋まると「マンボウ」が発令され、70床が埋まると「緊急事態宣言」が発令されていたのです。

実に馬鹿げていませんか。

東京もしかりで、東京の重症者ベッド数は、東京都民25,000人に対して一つという比率でした。

因みに「新型コロナ患者が入院できるよう病床を空けてもらう代わりに病院を補助する“病床確保料”は当初は過大交付だった…」などと批判する人たちもいますが、この種の人たちは「おカネとは何か…」を理解していないものと思われます。

それが過大であろうがなんであろうが、国家は国民の命を救わなければならない有事においては通貨発行(財政支出の拡大)を躊躇してはならないのです。

結局、アメリカ流のネオリベラリズム経済を無抵抗に受け入れた日本は、たんに国民が貧困化しただけでなく、いざというときに国民を守ることができない国に成り果ててしまったのです。

今まさに台風シーズンですが、熊本においても、ふつうに川辺川ダムを建設してさえすれば、球磨川の氾濫で命を落とす人などいなかったでしょう。

私たち日本国民は、平成時代の構造改革について真面目に総括すべきだと思います。