核シェアリングとは

核シェアリングとは

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、我が国においても「核共有(核シェアリング)を議論すべきだ…」との意見があります。

核シェアリングとは、米国の核兵器を同盟国に配備し、共同で運用するという安全保障政策の一つです。

紀尾井町戦略研究所が行った世論調査によれば、核共有について議論することに賛成する人は国民の7割に達しているという。

その一方で、非核三原則を守るべきだ、という意見に賛成する人も6割いるとのことです。

むろん、非核三原則を維持しつつ核共有を具現化してほしい、という意見もあるのでしょう。(そんなことができるのかどうかは別にして)

我が国においては「核保有議論」がこれまで全く無かったわけではありませんが、一年前に凶弾に倒れた安倍元総理が昨年5月(頃だったと思います)のビデオ演説の中で「核共有を議論すべきだ」だと発言したことから、今回の議論が本格的に巻き起こったと記憶しています。

議論することは大いに結構、どんどんやったらいい。

因みに、この話が身近で出ると、「当然、三宅さんは(核共有に)賛成ですよね…」などと言われることがしばしばあります。

どうして当然なのか、自分でも困惑するところですが、意外にも(!?)私は核をシェアリングすることには賛同しておりません。

その理由は、むろん「川崎市が核兵器廃絶平和都市を宣言しているから…」などではありません。

私は現実主義者として、核兵器の存在による秩序(平和)維持の効用を理解するものです。

仮に、核兵器をこの地上から悉く廃絶したところで、それで世界が平和になるわけでもないわけで、むしろカオスでしょう。

いつも言うように、核兵器を物理的に廃絶することができたとしても、核兵器を開発する技術を廃絶することは不可能です。

ゆえに何度廃絶しようとも、必ず新たな核保有国が出現し続けます。

それが現実です。

さて、なぜ私が核シェアリングに賛成できないのかについてですが、もともと核シェアリングをはじめたのは欧州です。

我が国で核シェアリングの必要性を訴えている人たちは「その欧州の核共有システムを真似して、ぜひ日本でも…」ということのようです。

であるならば、なぜ欧州において「核シェアリング」がはじまったのかを知る必要があります。

その理由は以下のとおりです。

時代は遡って旧ソ連時代、西ヨーロッパの国々は常にソ連の大戦車軍団が国境を超えて侵攻してくることを恐れていなければなりませんでした。

そして、ソ連の大戦車軍団が西進してきたとき、それをくい止めることのできる唯一の手段は戦闘機からの核爆弾(戦術核)の投下でした。

ところが、在欧の米空軍だけでは戦闘機が足りなかったために、西ヨーロッパの国々が米軍から乗員付き戦闘機の借用を依頼したものが「核シェアリング」です。

といっても、戦術核が保管されている弾薬庫の鍵はダブルキーで、米軍の許可がないかぎりドイツ、イタリア、ベルギーなどが勝手に核を使用できるわけではありませんでした。

ゆえに、例え日本が米国と核シェアリングしたところで、核共有の自由と責任が与えられるわけではないのでございます。

ましてや、四方を海で隔てられた我が国土に敵の大戦車軍団が上陸してくることもありません。

それよりもかえって、核シェアリングすることによるデメリットのほうが大きいものと思われます。

多くの人が誤解をして「核を持たないと尖閣を守りきれない…」みたいに言いますが、尖閣諸島のみならず、我が国土への敵による着上陸侵攻を核でくい止めることなど不可能です。

苦境に立たされ続けているプーチン大統領でさえ、さすがに核を使用することができないでいます。

現世界情勢の中では「核の拡散」こそが、なお最大の脅威です。

よって、我が国としてもまずは「核の不拡散」に努めることが先決です。

ただし、お隣の韓国が核武装した場合には、日本国民の多くが核武装を要求し、米国がそれに同意する可能性も出てきます。

その場合に備え、核武装へのロードマップだけは検討しておく必要があることは言うまでもありません。

そのため、当面は、核弾頭・非核弾頭両用の中距離ミサイルを保持して敵地反撃能力を有することも有力な一案となりましょう。