政府の黒字化とバブル経済

政府の黒字化とバブル経済

いわゆる「債務上限問題」に揺れていた米国ですが、バイデン大統領とマッカーシー下院議長が法定上限を引き上げることで基本合意に至り、明日にも連邦議会で採決される見通しです。

これにより、米国債の債務不履行(デフォルト)は回避されます。

それにつけても、毎度毎度、馬鹿げた話です。

あえて上限を設けて、米国債のデフォルト危機を煽る。

危機の演出は、相場を動かすための材料を定期的に求める市場(ウォール街)の要請でもあるのでしょうけど。

米国の会計検査院によると、債務上限を具体的な金額で法定しているのは米国とデンマークの2カ国だけで、デンマークの場合、その金額が極めて高く設定されているために、米国のように債務上限が政治問題化することはないらしい。

一方、世界を見渡してみますと、財政の健全性を表す指標は一般的に「政府債務残高の対GDP比が発散しないようにすること」だとされているようです。

例えばEU(欧州連合)諸国では「対GDP比財政収支」を財政規律の指標としています。

とりわけ、財政規律を事さらに重視することで有名なドイツでは、なんと憲法で「連邦政府は対GDP比財政収支を原則0.35%以内にしなければならない」と定めています。

といっても、不況時には新規国債発行の増加を認めており、また「自然災害又は国家の統制が及ばず、国家財政に甚大な影響を与える緊急非常事態の場合」には、財政ルールの適用を停止できるようにしています。

あのドイツでさえそうなのですが、なんと我が国の愚かなる政府(財務省)は「常なる財政の黒字化」を財政規律の大原則にしています。

前述したとおり、欧米諸国にも財政規律の原則は存在するのですが、その指標は政府債務残高の上限であったり、対GDP比でみた財政赤字であったりして、一定の財政赤字が許容されています。

それに対して我が国は「一切の赤字はまかりならん…」としているのでございます。

因みに、川崎市などの地方行政もしかりです。

これこそが、我が国の「失われた30年…」の根本原因です。

いつも言うように、一国の経済を「政府部門(中央政府と地方政府)」「民間部門(企業と家計)」「海外部門(経常収支)」の3つに分類しますと、収支は次のとおりになります。

政府部門の収支 + 民間部門の収支 + 海外部門の収支 = 0

つまり、政府部門の収支を常に黒字にするということは、民間部門と海外部門の収支を常に赤字にしなければなりません。

因みに、海外部門の収支が赤字ということは、経常収支の黒字を意味します。

経常収支は海外経済の景気動向に大きく左右されるため、政府がコントロールすることは困難です。

よって、国内要因により政府財政を常に黒字化するためには、民間部門の収支を恒常的に赤字化しなければならないことになります。

つまりは、企業や家計などの民間部門が、全体として常に債務超過でなければならないということになります。

実は過去にそういう時期がありました。

1987年から1991年の日本です。

この時期、日本政府はプライマリー・バランス(基礎的財政収支、以下PB)が黒字化したのです。

PB黒字化とは、政府歳出を税収(公債発行以外の収入)だけで賄うことですが、この時期の日本経済が「バブル経済」であったことを思い起こしてほしい。

残念ながら「バブル経済」が長く続かないのは古今東西の歴史が証明しているところで、しかもバブル崩壊時には多数の経済的犠牲者がでるものです。

PB黒字化がバブル発生の裏返しであるのなら、そんなものを政府が目指すなど正気の沙汰ではない。

来月に閣議決定される『骨太の方針』では、ひきつづきPB黒字化が明記されるものと推察します。