GDP比2%には根拠がある!

GDP比2%には根拠がある!

政府は、ことし2023年度から5年間の防衛費をおよそ1.6倍の43兆円とする方針です。

これにより我が国の防衛費は、海上保安庁や国防に役立つインフラ予算を含めればGDP(国内総生産)の2%となり、NATO(北大西洋条約機構)加盟国の平均水準に達することになります。

ただし、2027年以降もGDP2%水準を維持するためには、毎年4兆円の追加財源が必要になることから、いわゆる財源問題が世を騒がせています。

その財源について政府は、他の予算を削って防衛費に充てる「歳出改革」をはじめ、決算剰余金の活用、あるいは税外収入を活用した防衛力強化基金の創設といった工夫によって3兆円を捻出し、残りの1兆円については増税によって賄うとしています。

残りの1兆円については、与党内から「いや増税ではなく、国債発行によって賄うべし…」という意見が出ており、野党は「とにかく増税反対…」で共通しています。

世論の6割以上は防衛力強化に賛成するものの、増税にも国債発行にも消極的というのが実態のようです。

さて、どうなるか。

様々な意見が交錯するなか、慶應義塾大学教授の井手英策さんという経済学者が昨年12月の時事通信のインタビュー記事で次のような信じがたい発言をしていました。

少し長くなりますが、そのまま掲載します。

「防衛費を『GDP比2%』にするとの基準にはどのような合理的根拠があるのか、一体誰がどこで話し合ったのか、これは今の政治に通底しており、民主主義の本質に関わる話だ。コロナ禍での特別定額給付金は仕方ないとしても、いまだに『現金ばらまき』が続く。膨大な赤字国債を押し付けられる今の子どもや未来の子どもたちは意思決定に関わることさえできない。民主主義が息絶えつつあるということではないか。(中略)今こそ『ばらまき』か民主主義かの戦いであり、与野党から財源論を直視する若手がでてこなければ日本の政治はこの先厳しいだろう」

大丈夫か、言ってることがだいぶ「KO」だぞ。

GDP比2%にどのような根拠があるのか知らないのなら、無学の私が井手教授に教えて差し上げましょう。

昔、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)もまだなかった頃、即ち英国の治安維持機構が未だ整っていなかった時代、村で犯罪が発生すると村人が全員(全世帯)で犯人を追跡し捕まえていました。

こうしたことは英国に限らず、どこにでもあった話でしょうが、英国の場合ちょっと異なるのは、すべての村人が犯人を追い捕まえること、そしてそのために村民(各世帯)の資産に応じて常に武器を所持することが村民に義務付けられていたことです。

義務違反には厳しい罰則もあったらしい。

これを英米法で「プリベンション・オブ・クライム」(犯罪の防止)という。

ここに現代の集団安保体制の淵源があるとされています。

社会(村)の平和と秩序の維持という共通の目的のために参加することは、構成員全員の義務(責務)だというわけです。

国際社会の場合、本来は秩序維持機構(世界警察)がすべて担うべきなのでしょうが、それが現状ではできない以上、その役割を皆(各国)で担おうというのは合理的かつ筋の通った考え方です。

これこそが「集団安全保障」という概念にほかならない。

因みに、ここで言う「集団安全保障」は「集団的自衛権」のことではありません。

前者は「義務の遂行」であるのに対し、後者は「権利の行使」です。

なお、「各村民(各世帯)の資産に応じて…」というのが、現代では「各国のGDPに応じて…」ということです。

なるほど、各国の防衛費をみますと、その平均値がGDP比2%なわけです。

ご記憶の方もおられると存じますが、2000年に出された『アーミテージ・レポート』において、「日本は集団安全保障に関わる明白な義務を伴うことを理解しなければならない」とされました。

これは要するに「防衛費がGDP比1%以下の日本は、集団安全保障の義務を果たしていない」と名指しされたわけです。

あの『アーミテージ・レポート』から23年、ようやく我が国は義務を果たすことを決心したのでございます。(とはいえ、海上保安庁の予算を入れてGDP比2%なので、不十分といえば不十分なのですが…)

加えて申し上げれば、井手教授は「国債発行残高」が「通貨発行残高」にすぎないことをご存知ないようです。

明治政府発足以降、我が国政府の負債残高は名目で既に3900万倍以上も膨れ上がっていますが、それがなにか問題でも?

専門が経済学なのに財政経済が理解できていないのだから、専門外の軍事・安全保障など、なおさら口出ししないほうがいい。