新しくない資本主義

新しくない資本主義

岸田内閣の経済政策「新しい資本主義」について、日本経済新聞が「実行段階に入ってきた…」と報じています。

総裁選挙で岸田さんが掲げた「新しい資本主義」とは、てっきり「非グローバリズム資本主義」「非ネオリベラリズム資本主義」だと思って期待していたのですが、どうやらそうではないらしい。

なぜなら、岸田政権が掲げているのは「資産所得の倍増…」だからです。

考えてもみてほしい。

資産所得倍増では、これまでの株主資本主義の延長ではないか。

そもそも資産のない人に資産所得など倍増しようがない。

「新しい資本主義」では、スタートアップ育成に向けた計画のほか、人への投資や科学技術などへの予算措置も含まれていますが、デフレが払拭されない社会では起業(スタートアップ)など増えるはずもなく、人への投資と言うのであれば雇用関連法を基に戻して正規社員を増やすべきです。

人への投資とは、それ即ち正規社員として継続的に雇い続けるということなのですから。

「新しい資本主義」と言うのであれば、倍増すべきは国民一人あたりのGDP(所得)です。

おカネを稼ぐ人たちは概ね、GDP(所得)で稼ぐ人たちと、株や金利など資産所得で稼ぐ人たちの2種類に分かれます。

むろん世の中の圧倒的多数の人たちが前者です。

後者はグローバリズム資本主義(ネオリベラリズム資本主義)により利益を拡大することができますが、それによって前者は割を食わされることになります。

現にそうでした。

GDP(所得)で稼ぐ人たちを豊かにする経済のことを「経世済民」、あるいは「ナショナリズム経済」と言います。

GDPとは、一国経済の支出の総額を意味すると同時に、国民全体の所得を意味しています。

当たり前な話ですが、誰かの「支出」は必ず誰かの「所得」になります。

つまりGDP成長とは、国民(ネイション)の所得拡大のことにほかなりません。

ゆえにナショナリズムは「国民主義」と和訳すべきで(民族主義ではない)、国民の所得を増やすことこそが「ナショナリズム経済」の目的です。

なお、各国のナショナルな所得水準を比較する際に、国民一人あたりのGDPを尺度として用いるのはそのためでもあります。

もっとも、国民一人あたりのGDPで各国の所得水準を比べる場合、為替レートを基軸通貨(国際貿易の決済や金融取引の基軸となる特定国の通貨)のドルに換算して比較されるわけですが、それでは対ドルで為替レートがどのように変動したかによって国民一人当たりのGDPの順位は激しく変動してしまうことになります。

簡単に言えば、円安の場合は順位が下がり、円高の場合は順位が上がります。

よって、その国が成長しているのかどうかをみる場合には、やはりドル建てではなく自国通貨建てで国民一人当たりのGDP推移をみるほうが適切だと思います。

とはいえ、残念ながら岸田政権は一人当たりのGDPへの関心は薄いようで、どうしても資産所得の倍増を基本目標としたいようです。

今後は、輸入するエネルギーや食料の価格がさらに跳ね上がっていくなかで、どのようにして国民の可処分所得を増やしていくのかがポイントになります。

そこには、デフレ経済を克服できないままにコストプッシュ・インフレに直面することになってしまった日本経済の不幸があります。

それにつけても、病的なほどの緊縮財政により25年間もデフレ経済を払拭できなかった政府の罪は大きい。