未来予測の功名

未来予測の功名

米国の政治学者であるフランシス・フクヤマは、その著書『歴史の終わり』(1992年)のなかで、どのような独裁国家であってもやがては民主化するものであり、歴史とは世界が民主化する過程であることから、1991年にソビエト連邦が崩壊したことをもって歴史は終わったも同然だと主張しました。

『歴史の終わり』はある種の未来予測でしたが、残念ながらその後の現実世界をみればわかるように歴史は終わらなかった。

この世には「紙と鉛筆と投票箱さえあれば、いつでも民主化できる」という稚拙な幻想を抱いているひとたちが少なからずおられます。

しかしながら、紙と鉛筆と投票箱さえあれば民主化できるのであれば、例えばルワンダで何十万人もの虐殺は起きなかったはずです。

あるいはソビエト連邦という後ろ盾を失った北朝鮮も、経済的に豊かになったはずの中国も一向に民主化していないのはどうしてなのか。

フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』を発表した頃、即ちソビエト連邦が崩壊した1990年代初頭は、さまざまな未来予測本が出版されました。

冷戦終結により敵を失った米国が、これからどのような行動にでるべきなのかが当時としては大きな関心事だったからでしょう。

といっても、この種の未来予測は大概は当たらないものです。

例外として、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』はある程度は的中していますが、的中する未来予測の割合は極めて低い。

実は未来予測の正確性を検証した、とある研究があります。

それは200人以上の政治経済の専門家を18年間も追跡調査して未来予測が実際に当たったのかどうかを調べたところ、なんとその精度はチンパンジーが適当にダーツをなげて的に当たる可能性よりも劣っていたことが判明しました。

この調査の対象となったのは一般人のそれではなく、その分野に精通した専門家の予測です。

たしかに私たちがこれまでに聞いてきた数々の未来予測を思い返してみますと、その多くが外れてきたのがわかります。

例えば「将来、石油は枯渇する…」「米ソによる核戦争が起きる…」「2020年には自動車が空を飛んでいる…」「1999年に地球は滅亡する…」等々。

しかしながら、核戦争の前にソビエトは崩壊したし、石油は今なお枯渇していないし、おそらくは2040年になっても自動車が空を飛ぶのは不可能であろうとさえ言われています。

なぜ、未来予測の多くは外れてしまうのでしょうか。

考えてみれば当然のことですが、まず何より、この世に起こる全ての事象(要素)を分析に含めることは不可能です。

人間理性には限界があるのですから当然です。

そもそも未来は些細な出来事がきっかけで大きく変わるものです。

例えば、ある日どこからともなく発生した謎の疫病が世界中の人たちを自宅に閉じ込めることもあれば、影響力のある政治家が何の前触れもなく暗殺されることだってあります。

ましてや自然災害ともなれば、予測はほぼ不可能です。

とはいえ、あらゆる情報を仮に分析しきれたとしても、人間社会は悲観的な未来を回避するために様々な努力をするものです。

例えば、石油の枯渇という危機を回避するために、人類は掘削技術を高めてそれまで掘ることのできなかった地層から石油を掘り出すことに成功し生産量を増やしましたし、石油危機の際には世界中で原子力発電が採用されて石油の枯渇を回避してきました。

また、地球温暖化するという未来予測に対しても、国によって差こそあれ国際社会はそれなりに回避行動をとっています。

その点、未来予測が外れているというよりも、人々が外れるように行動を起こしていると言っていい。

悲観的な未来予測がでまわるのは、人々がその問題に気づいている証拠でもあるのかもしれない。