財源論に陥ったら政策論は負け!

財源論に陥ったら政策論は負け!

昨日の日本経済新聞に次のような記事がありました。

『岸田首相に3つの財源論 防衛力強化・脱炭素・社会保障
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA149910U2A710C2000000/
岸田文雄首相は参院選の公約の実現へ財源の論議に取り組む。防衛費の増額、脱炭素への投資、子育て支援など社会保障の3分野で、国民の負担につながる可能性がある。(後略)』

要するに日本経済新聞は「財政支出を拡大するのであれば、国民は増税を覚悟しなければならない」と言いたいようです。

残念ながら、商品貨幣論に毒された人たちには「財源=税収」でしかない。

彼らは、貨幣は貴金属などのその内在的価値ゆえに交換手段として使われる「モノ」であると理解する。

支払いの際に受け取られるためには、貴金属による裏付けが必要なのだ、と信じて疑わない。

とはいえ、私たちのお財布に入っている「紙幣(日銀券)」は、なんらの貴金属的価値を内在していません。

これをどう説明するのか。

例えば、1万円札の製造コストはわずか22円程度です。

22円という物質上の価値しかない紙屑もどきに、どうして私たちは1万円もの貨幣価値を認めているのでしょうか。

商品貨幣論には、それを説明することはできない。

これを明快に説明してくれるのが「信用貨幣論」です。

信用貨幣論は、おカネを信用(債権)と負債(債務)の記録媒体と理解します。

例えば、私たちの経済活動では買手と売手が先渡し契約に入ったとき、双方に信用と負債という関係が生じます。

商品売買は、商品を交換媒体として別の商品と交換することではなく、商品と信用を交換することです。

そして受け取られた信用は別の商品を購入する際には今度は負債となります。

なるほど、売買、即ち貨幣を用いた交換と言うものは、物々交換とは性質がまったく異なるというわけです。

要するに、貨幣そのものが「負債」ということなのでございます。

だれの負債?

むろん政府の負債です。

ではどうして、政府の負債が貨幣として流通するのでしょうか?

実はそこで「税金」が大きく関わってきます。

政府は国民に対し「納税」というかたちで一定額の支払い義務を課しています。

その税金を「円」という「負債」で支払え、と法定されているからこそ、国民は円という負債を集め利用せざるを得ない。

つまり、個人が国家通貨を受け取るのは、国家がそれを税金や料金などとして受領することを宣言しているからです。

こうして国家通貨は貨幣として成立しています。

これを「租税貨幣論」と言います。

政府が税金を集める目的の第一は、この租税貨幣論にあります。

そして目的の第二には、インフレ率の調整。

第三には、所得格差の調整。

このほかにもいくつかの目的がありますが、残念ながらその中に「財源確保」という目的はございません。

日本経済新聞にはどうしても理解できないことでしょうが…

何度でも言います。

税金は財源確保の手段ではありません。

財源論に陥ってしまったら、政策論の負けです。