市場原理が全く機能しなかった電力小売り自由化

市場原理が全く機能しなかった電力小売り自由化

電気が発電されて私たちの家や企業に届くまでには、電気をつくる「発電」、その電気を送る「送配電」、そして家庭や企業に販売する「小売」と、3つのプロセスがあります。

かつてはこれら3つのすべてを各地域ごとの大手電力会社が担っていたのですが、その際、電気料金は燃料や送配電にかかるコストを積み上げる「総括原価方式」と呼ばれる方法で決められていたため、「これではコストダウンの意識が高まらず、電気料金が下がりにくい要因ではないか…」という指摘と批判がありました。

そのため、1990年代の後半以降、「発電」「送配電」「小売」の機能を分離する制度改革を段階的に行ってきました。

発電部門には工場に大規模な自家発電の機能をもつ企業など独立発電事業者が参入し、小売部門にも大手電力会社以外の事業者(新電力)が参入しました。

要するに新自由主義思想に基づく「競争原理の導入」っていうやつであり、価格競争を引き起こすことで電気料金の引き下げを狙ったまさに「構造改革」でした。

今、問題になっているのは、小売部門のうち大手電力会社以外の小売事業者で「新電力」と呼ばれている事業者です。

帝国データバンクによると、去年4月時点で国に登録されていた新電力は706社あったのですが、このうち今年3月までの昨年度一年間だけでも14社が倒産しており、2016年に小売の自由化が行われて以来、最も多くなってしまいました。

その他にも17社が廃業や撤退を決めています。

こうした新電力の経営が急速に悪化している背景には、このビジネスの構造的な要因があります。

新電力の多くは自ら発電機能を持っていないため、大手電力会社やその他の発電事業者から相対契約で電気を購入するか、または大手電力会社や独立発電事業者などが電気を供給する「卸電力取引所」を通じて電気を購入し、それを個人や法人に販売しています。

問題はこのうち、取引所への依存度が高い新電力です。

例えば現在、ロシアによるウクライナ侵攻の影響等もあって火力発電の燃料となる天然ガスのスポット価格が、一時去年の10倍以上の水準にまで高騰しました。

こうした影響で、日々価格が変動する卸電力取引所の価格も値上がりしており、ことし3月には1kWhあたりの平均でおよそ26円にまで値上がりし、去年の同じ月に比べると4倍以上にまで跳ね上がり、その後も高止まりしています。

新電力にとって取引価格の値上がりは、電気の調達コストの上昇に直結します。

この状況で顧客に従来の料金プラン、つまり大手電力会社よりも安い価格で電気を販売すれば赤字になってしまうことから、新規の契約を停止したり、事業から撤退したり、最悪の場合は経営破綻にまで追い込まれているケースが増えているわけです。

当然のことながら、このことによる社会的影響は大きい。

電気の小売市場における新電力のシェアは2〜3割程度にのぼっています。

北海道、沖縄県、北陸を除く地域で今年4月まで電力の供給を行ってきた新電力が事業から撤退したケースでは、家庭用と企業用で合わせて15万7,000件の契約者が別の小売事業者との契約に切り替えを迫られることになりました。

新電力が経営破綻したり、小売事業から撤退した場合、新電力から電気を購入していた消費者はどうなるのか。

新電力の経営悪化を受け、新電力と契約していた企業のあいだでは、大手電力会社のグループの小売事業者に契約を切り替えようという動きも出ました。

ところが大手電力会社の間でも、企業向けの契約の新規受付を一部停止する動きが広がっています。

大手電力会社が新たな契約を結んだ場合、その分の電気の調達が追加で必要となりますが、既に電力の需要は自前の設備の発電量のギリギリまで達しています。

このため、自前の電源で賄えない分は卸電力取引所から調達しなければならないわけですが、その際には新電力と同じように今の割高な市場価格で購入しなければならず採算が見込めないことになるからです。

では、電力の供給ができなくなった新電力と契約を結んでいた企業はどうなるか。

国の制度では、こうした場合、なんと大手電力会社の送配電事業者が電気を供給する義務を負うことになっています。

このことが大手電力会社の経営を圧迫することはもちろんですが、電気の供給を受ける顧客側にしてみれば、自らの落ち度はないにもかかわらず、新電力の経営が行き詰まることで契約先を変更しなければならないという不安定な状況に置かれることになります。

電力を所管する経済産業省の萩生田大臣は、小売に新規に参入した企業に対し「国民生活に密着したエネルギー供給を業とする覚悟を求めたい…」と苦言を呈するなど、なかば根性論に訴えています。

以上のとおり、電力小売り自由化、及び発送電分離は、まったく危機や有事を想定せず「平時」のみを前提に進められてきたことがよくわかります。

因みに、郵政民営化のときと全く同じ構図です。

郵政3事業は、郵便サービス(ユニバーサルサービス)を維持するための赤字を、郵貯や簡保などの黒字部門が補うことによってうまく運営されていました。

それを小泉なんとかが「郵便料金が高いのは民営化されていないからだ…」と言って、郵政3事業の民営化を断行しました。

結果、どうなったか。

郵便料金は下がるどころか、むしろ上がっています。

電力も同じで、送配電のインフラ設備に関わる膨大なコストを、発電、送電、小売を一括して行うことにより採算性を確保することができていたわけです。

それを「電気料金が値下がりしない…」ことを理由に、強引に発送電を分離して現在のような混乱を招いているわけです。

べつに電気料金の値下げなど行われずとも、デフレ経済を克服して家計収入が着実に増えていけば、即ち実質賃金が普通に上昇していれば何ら問題などなかったのです。

なのにデフレを放置したまま(実質賃金を下げたまま)で、「電気料金が下がらないのは発送電を分離しないからだぁ〜」といって制度改悪を行ってきたのです。

それでいて最後は「事業者は覚悟をもてっ!」などと根性論に訴える政治って、いったい何なのでしょう。

実に馬鹿げています。