因なくば縁なし、果なくば報なし。

因なくば縁なし、果なくば報なし。

ロシア外務省は、岸田総理や林外務相をはじめ政府関係者、財界人及び学者らなど合計63名に対し、ロシアへの入国を無期限で禁止することを発表しました。

むろん、日本の対ロシア制裁への報復措置です。

これをうけ岸田総理は訪問先のイタリアで「軍事的手段に訴え今回の事態を招いたのはロシア側であり、日ロ関係をこのような状況に追いやった責任は全面的にロシアにあるにもかかわらず、ロシア側がこのような発表を行ったことは断じて受け入れることはできない」と述べました。

今回の事態を招いたのは本当に全面的にロシアだけの責任なのでしょうか。

むろん、ロシアによる侵攻で無辜のウクライナ国民が犠牲になっていることは見過ごすことのできない事態です。

ただ、ロシア唯悪玉論には、国際法に基づかない不当な裁判、即ち東京裁判で戦勝国が主張した理屈と同じようなインチキくささがどうしても漂う。

東京裁判での彼らの主張は「2発の原爆を投下され、東京大空襲を含め全土で無差別爆撃(無差別殺戮)が行われたものの、それは侵略戦争を仕掛けた日本が悪かったのだから仕方がない」という理屈でした。

しかしながら、日本が侵略戦争を仕掛けた事実などなかった。

戦後、東京裁判を主宰したマッカーサーが米国上院で証言しているように、日本は近代国家を運営するための資源を悉く止められ、そのまま何もしなければ国内では1200万人の失業者が発生し、国防もままならず国家存亡の危機に立っていた。

ゆえにマッカーサーでさえ「日本は安全保障上の理由からやむを得ず戦争に突入したのです」と述べたのです。

そもそも当時の日本に、主要な貿易相手国である米国と敢えて戦争しなければならない理由などなかったのですから。

いわゆるABCD包囲網により、米、英、蘭、支が貿易を止めたのは「日本が支那事変から手を引かなかったからだ」と主張する人がいますが、日本が蒋介石と停戦合意しようにも、その蒋介石に武器を供与して支那事変の戦火に油を注いでいたのは米英です。

驀進するドイツに手を焼いていた英国はどうしても米国の参戦が必要であったし、参戦したくても「参戦しないこと」を公約に当選したルーズベルト米大統領は自国からの宣戦布告ができない。

だからどうしても日本から手を出してほしかった。

つまり、いかにして日本を追い込み、いかにして日本から手を出させるかが米英共有の戦略だったわけです。

因なくば縁なく、果なくば報なし。

ロシアがグルジアに侵攻したのは、その直前にNATOがブカレスト首脳会談で「ウクライナとジョージアをいずれ加盟国にする」と宣言したからです。

ロシアがヨーロッパ通常戦力(CFE)条約の凍結を宣言したのは、米国がポーランドとチェコにミサイル防衛基地の建設を計画したからです。

ロシアがクリミアを強奪したのは、欧州連合(EU)がウクライナに連合協定を示しウクライナのNATO加盟の可能性を高め、ビクトリア・ヌーランドという米国の国務次官補がウクライナに親米政権(反ロシア政権)を樹立するように画策したからです。

しかもソ連崩壊時に米ソの政府高官同士で「今後、NATOは東方に拡大しない」ことを約束したにもかかわらず、それを反故にし、米国はNATOを東方に拡大してロシアを地政学的に追い詰めた。

地政学に追い詰める行為は、軍事的に追い詰める行為と同義です。

意外に思われるかもしれませんが、ロシアは過去2世紀のあいだに何度か欧米からの侵略を受けています。

例えば1917〜1922年の内戦期には、米国を含む反ボルシェヴィキ国家連合に干渉されました。

フランスには1度、ドイツには2度にわたって侵略を受け、第二次世界大戦では約2600万のロシア人が犠牲になっています。

冷戦期のソビエト時代も常にヨーロッパの米軍やNATO軍との臨戦態勢にありました。

こうした歴史をもつ以上、NATO圏の境界がロシア国境に近づくことに敏感にならざるを得ないのではないでしょうか。

なによりも歴史が明らかにしているように、勢力の均衡が崩れた時に紛争や戦争という悲劇は起こります。

その均衡を敢えて崩す輩がいるのも歴史の常であることを私たちは理解しなければならないと思います。