「専守防衛」という幻想

「専守防衛」という幻想

占領憲法の施行から75年が過ぎたきのう、多くの地域で「憲法」や「国防」のあり方についての議論が交わされたことでしょう。

昨今では国会議員たちのあいだでもようやく「敵基地攻撃」や「核シェアリング」などの言葉が飛び交うようになりました。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を目の当たりにしていることもあって、ようやく国民レベルでも憲法や国防についての感心が高まりつつあるように思います。

むろん、未だ根強い東京裁判史観派たちは相変わらず「平和主義を掲げる憲法の価値を全国民が共有すべきだ」みたいな主張を繰り返しておられますが、その種の人たちは決まって「敵基地攻撃の本質は先制攻撃であり専守防衛に反する」と言う。

本来彼らは「自衛隊」の存在すらを認めない立場であったはずですが、さすがに昨今ではその存在を認めざるを得なくなったようで、そのかわり「専守防衛」を堅持することが平和主義を貫く自分たちを納得させる最低条件なのだと思われます。

なお、自称「保守」系の人たちのなかでも専守防衛論者は多い。

しかし残念ながら「専守防衛」は軍事的に成り立たない。

例えば、一定時間を稼いで全体に寄与する城や要塞はあり得ても、我が国のように広正面の国土をハリネズミのように守る技術はありません。

あったとしても天文学的な予算を必要とします。

いかにデフレ経済の日本でも、天文学的なほどの通貨を発行すればさすがにインフレ率が跳ね上がります。

そもそも考えてみてほしい。

ジャブとガードだけで勝てるプロボクサーなどいるでしょうか。

井上尚弥選手だって不可能だと思います。

相手を倒すことのできるストレートやフックをもたないプロボクサーでは、おそらく引き分けに持ち込むことすら不可能でしょう。

これまで我が国が専守防衛でやってこられたのは、自衛隊が盾の役割を担当し、米軍が矛の役割を果たすという「日米ガイドライン」による約束があるからです。

とはいえ有事発生の際、米軍が本当に矛の役割を果たしてくれるかどうかは実に怪しい。

少なくとも、もしも米軍がその役割を取り消した場合、どんなに自衛隊の予算を増やしたところで「専守防衛」の国防など絶対に成立し得ないことを日本国民は承知しておくべきです。