公共性を喪失した日本の医療

公共性を喪失した日本の医療

きのうのブログの続きになりますが、日本で病床規制がなされるようになった経緯について述べます。

まず、大東亜戦争が終わった当時は、わが国にはおカネがありませんでした。

戦争で供給能力が毀損されていたので、MMT(現代貨幣理論)がいうような通貨発行による財政支出の拡大はできなかったわけです。

カネのない政府としては、地域医療のほとんどを、いわば民間病院に丸投げすることになりました。

その後、1960年代になって国民皆保険制度が整い、国民の医療ニーズが高まりました。

医療ニーズが高まるのと比例するように、民間病院が急増したことで過当競争が生まれ、1985年になって医療法により病床数が規制されるにいたりました。

ご承知のとおり、収支均衡論に縛られている日本政府は医療費をできるだけ抑制したい。

とはいえ、民間病院には手が出せなかった厚労省や総務省は、国公立病院の統廃合などで病床を抑制することで地域の病床削減を図ろうとしました。

その結果、日本の医療機関は中小の民間病院が主体となり、ある意味では世襲制経営者を院長(経営者)に戴く民間病院群が、地域医療を病院協会という組織を通じて差配するかたちになっていったのです。

さらに一般庶民には金銭的に入学することがほぼ不可能な私立の新設医科大学が増設されたことが、この世襲制をさらに後押ししたのです。

私は、日本の医療の最大の問題点は、病床を民間病院の私有財産として認め、その使用に際して公共性を求めなかったことにあると考えます。

即ち、病床の総量規制はあるものの、「公は悪、民は善」という新自由主義思想の下、青天井の医療費で病床を武器にした病院の自由競争を認めてきたところにあります。

さらに本来は公共性が求められる公立病院に対し、民間病院を見習えと言わんばかりに競争原理を導入し、経営効率を優先するように仕掛けてきたことです。 

このような場当たり的な無軌道な医療政策により、日本の医療から「公共性」という医療でもっとも大事な概念を殺してしまったのです。