「もはや戦後ではない」。
これは、昭和31年(1956年)の経済白書に記された一文です。
戦後復興の段階を終え、日本経済が新たな成長局面に入ったことを、国が公式に宣言した言葉です。
しかし、この言葉は、単なる時代の区切りを示すキャッチフレーズではありません。
戦後という名の猶予期間が終わり、日本社会が自らの選択と結果に責任を負う段階に入ったことを告げる、重い宣告でした。
この年、日本は経済政策だけでなく、統治構造においても大きな転換を迎えています。
政令指定都市制度が創設され、大都市は「県の下位団体」では処理しきれない存在として、権限と責任を拡大されました。
つまり、日本社会は制度の上でも、「戦後」という暫定状態を終え、自立した成長国家として歩み始めたのです。
しかし、ここで一つの重大な「非対称」が生まれます。
経済と統治は戦後を終えたにもかかわらず、安全保障だけが、いまなお「戦後」の議論の枠組みに留まり続けています。
すなわち、「もはや戦後ではない」という言葉が意味していたのは、単なる経済的自信ではありません。
戦後という免責期間が終わり、これから起きる結果は、自らの選択の帰結として引き受けなければならない、という厳しい宣告でした。
にもかかわらず、経済と統治の分野において日本はこの宣告を受け入れたものの、残念ながら安全保障の分野では受け入れ切れなかった。
安全保障とは、本来、最も現実主義を要求される政策分野です。
しかし我が国では、今日に至るまで、占領期から形成された言葉や感情が色濃く残っています。
「戦争はしてはならない」「軍事を語ること自体が危険だ」「抑止力を論じることが緊張を高める」。
これらはいずれも倫理としてはかろうじて理解できるものですが、政策判断の出発点として用いられると、現実との乖離を生みます。
誤認、希望的観測、思考停止は、現実から即座に、そして取り返しのつかない形で報復を受けます。
では、なぜ安全保障の分野だけが、いまなお「戦後」を引きずり続けているのでしょうか。
その背景には、いくつかの要因があります。
第一に、冷戦期から続く同盟国の庇護の存在があります。
自前で厳しい判断を下さなくても、一定程度は成立してしまった。
第二に、戦後日本が戦争に巻き込まれなかったという成功体験があります。
その結果だけを見て、前提条件の変化を直視しない姿勢が固定化されました。
第三に、倫理と政策の混同です。
「戦争は嫌だ」という倫理が、「防衛力は不要だ」という政策判断へと短絡されてきました。
しかし、国際環境はすでに根本から変わっています。
国際秩序は一極構造から多極構造へと移行し、経済は「武器化された相互依存」の時代に入りました。
エネルギー、食料、物流、技術、情報インフラは、すべて安全保障そのものです。
もはや、安全保障を軍事の問題に限定して語ること自体が現実的ではありません。
にもかかわらず、日本の議論の多くは、1950年代の言葉、1960年代の感情、1970年代の成功体験の延長線上にあります。
この時間差こそが、最大の危機です。
現実は容赦なく更新されているのに、思考の枠組みだけが更新されていない。
日本は、経済では70年前に「戦後」を終えました。
しかし、安全保障では、いまだ戦後を終えられていません。
このねじれを放置したままでは、いずれ現実から厳しい形で突きつけられることになります。
ここで強調しておきたいのは、いま求められているのが、好戦的になることでも、軍事を礼賛することでもない、という点です。
「もはや戦後ではない」という言葉を、安全保障の分野においても、真剣に引き受けることです。
現実から目を逸らさず、都合のよい物語に逃げず、その結果責任を引き受ける覚悟を持つこと。
それこそが、成熟した国家に求められる最低限の姿勢ではないでしょうか。


