児童相談所(以下、児相)は本来、家庭だけでは対応が難しい問題に対して、公的な支援を提供するための重要な社会インフラであるというのが建前です。
しかし近年、その運用をめぐって、制度設計と実態とのあいだに、無視できないズレが生じているとの指摘がなされるようになっています。
以下、問題点を具体的に取り上げます。
まず第一に、一時保護の「同意原則」が、例外運用によって形骸化しやすい点です。
制度上、一時保護は、保護者等の同意を得て行うことが原則とされています。
他方で、子どもの安全確保を急ぐ局面では、同意が整わないまま開始され得る仕組みも併存しており、現場は「同意原則」と「緊急対応」の境界を判断せざるを得ません。
ところが、その境界は法令上、必ずしも切れ味よく明確化されているとは言い難い面があります。
このため、同意を得ないまま一時保護が行われる余地が制度的に残り、運用が行政裁量に大きく依存しやすくなります。
実際、川崎市当局によれば、親の同意が得られないなどの理由で職権により一時保護を行った件数は、令和2年度142件/475件(約30%)、令和3年度152件/476件(約32%)、令和4年度170件/500件(34%)と示されています。
つまり、一定割合で「同意なし」が現に発生していることになります。
例示としては、重篤なけがの原因に疑義がある場合や、児童本人が帰宅を拒む訴えをした場合などが挙げられています。
ここから見えるのは、個々の事案の是非以前に、「同意原則」を掲げつつも、現実には相当部分が例外運用に委ねられ得る、という制度の姿です。
第二に、一時保護が中長期化し得る制度構造です。
一時保護は名称のとおり「一時的」な措置であり、短期間の緊急対応を想定しています。
ところが実際には、延長を重ねることで数か月以上に及ぶケースが起こり得ます。
川崎市の一時保護所における平均滞在日数は、令和2年度51.8日、令和3年度58.5日、令和4年度61.3日と長期化傾向が確認されています。
さらに、最長の滞在日数は令和4年度で920日とされています。
平均で約2か月、最長では2年を大きく超えます。
制度上、延長の回数や総期間に明確な上限が見えにくい以上、「一時」という言葉から受ける印象と、現実の拘束期間(家庭に戻れない期間)との距離は拡大しやすくなります。
ここまでくれば、もはや「一時」という語感だけで現実を説明することは困難です。
第三に、司法関与が長らく弱かった点です。
一時保護は、子どもを家庭から引き離し、一定期間“拘束”する強い措置です。
それにもかかわらず、長年にわたり、その開始時点で裁判所が必ず関与する仕組みは制度上も運用上も弱いと指摘されてきました。
この点は見直され、一時保護開始時の司法審査が導入され、2025年6月1日から施行されています。
ただし制度は、導入された瞬間に「実効性」が自動的に確保されるわけではありません。
現場で強い措置が日常的に動く以上、司法がどの時点で、どの程度、実際にブレーキとして機能しているのか――そこが制度の信頼性に直結します。
第四に、一時保護中の子どもに対する学習機会、意見表明の機会、外部との連絡や不服申立ての仕組みが、必ずしも十分に確保されているとは言えない点です。
これらの仕組みは制度上も重要とされていますが、現場でどこまで実質的に確保されているかにはばらつきがあります。
たとえ「保護」を名目とした措置であっても、子ども本人にとっては、意思に反して突然家庭から連れ出され、外部との接触を制限された状態で生活を拘束されることになります。
このような実態を「児相による拉致」と批評する識者もいます。
表現の是非はさておき、そこまで強い言葉が選ばれる背景には、当事者側から見た「隔離」「遮断」「説明不足」「異議申立ての弱さ」といった体験が結びついている可能性を、制度設計の側が直視する必要があります。
さらに、親子の面会・通信については、個別方針の下で対応しつつ、必要な場合には児相の所長が制限し得ること、加えて一定の場合には児童虐待防止法第12条に基づき面会・通信を制限できるとされています。
つまり、家庭からの分離だけでなく、連絡手段の制限も制度的に組み込まれており、この運用の透明性と適正手続の確保が問われます。
第五に、施設内虐待が現実に起こり得ることは、公的にも認められている点です。
児相や一時保護所、児童養護施設などで働く職員による不適切行為や虐待は、制度上「被措置児童等虐待」として位置づけられ、自治体の報告や検証の対象とされています。
これは、制度が「起こらない前提」で設計されていないことの裏返しでもあり、外部からの監視やチェック体制の重要性を示しています。
第六に、拘束判断と家族再統合支援を同一機関が担っているという構造的矛盾です。
児相は、一時保護という強い措置を判断・実施する権限を持つ一方で、その後の親子関係の調整や家庭復帰支援も担っています。
拘束を決定した機関自身が、その判断を解除する条件を設定し、評価する立場にある以上、判断の自己正当化が働きやすい構造になっていることは否定できません。
しかも、一時保護が長期化しやすい現実が数字として確認される以上、この構造的矛盾は「理屈の問題」にとどまらず、当事者の時間を直接奪い得る問題として現れます。
これら六つの点はいずれも、「児相が悪い」「職員が悪い」といった個人攻撃の問題ではありません。
制度そのものが、善意の運用であっても不利益を生みやすい構造を内包している、という問題です。
児相に付与された権限は、子どもを守るどころか、子どもと家庭から時間と関係を奪い得る力を持っています。
犯罪でも有罪でもない段階で、行政の判断だけによって子どもを家庭から引き離し、長期間拘束し、面会や通信まで制限し得る制度が、十分な歯止めなしに運用されてきたとすれば、それは「保護」の名を借りた自由剥奪に限りなく近づきます。
だからこそ、その権限が根本から問い直され、厳格に制御されない限り、「保護」の名の下に行われる拉致や長期拘束を、社会として正当化し続けることになりかねません。


