医療の誤情報が蔓延する構造――「語りきれぬ医療」が生む空白

医療の誤情報が蔓延する構造――「語りきれぬ医療」が生む空白

近年、医療に対する不信や戸惑いの声を耳にする機会が増えています。

「医師の説明が十分でないのではないか」「本当のことが語られていないのではないか」。

こうした感覚は、決して一部の人に特有のものではありません。

しかし私は、この問題を「医師が不誠実だから」「住民の理解が足りないから」といった個人の資質の問題として捉えるべきではないと考えています。

背景には、現代医療そのものが抱える構造的な制約が存在しています。

その構造を考える上で、慢性腎臓病(CKD)は、極めて象徴的な例です。

日本では、CKDの患者・予備群は非常に多く、推計で約1,300万人にのぼるとされています。

しかし、CKDの特徴は、早期にはほとんど自覚症状がないという点にあります。

腎臓の機能は、ある程度低下するまで、日常生活の中で「困った」という形では現れません。

検査数値としては変化が出ていても、体感としては分かりにくいのです。

CKDの進行要因については、医学的にはかなり明確になっています。

高血圧、糖尿病、肥満、喫煙――これらが腎機能悪化の主要な要因であることは、臨床的にも強固な一般論です。

医師は、こうした科学的根拠に基づいて説明を行います。

「血圧を下げましょう」「血糖管理が大切です」「生活習慣の改善が重要です」。

説明としては、医学的には正しい。

しかし一方で、患者側から見ると、「今は特に困っていない」「数値の意味が実感として分からない」という状態が続きます。

腎臓医療のもう一つの特徴は、治療の成功が目に見えないという点です。

腎臓の治療や管理の目的は、「良くなった」と実感することではなく、「悪化を防ぐ」「進行を遅らせる」ことにあります。

つまり、成功とは「何も起きなかったこと」「状態が保たれたこと」なのです。

これは医療としては非常に重要な成果ですが、人間の感覚としては、どうしても評価しにくいものです。

こうした経過の末に、腎機能が著しく低下すると、透析という形で治療が必要になります。

日本では透析を受けている方の数も多く、この段階になって初めて、腎臓の病気が生活の中で強く意識されるようになります。

それまで「静かに進んでいた変化」が、ある時点で一気に可視化されます。

この落差が、強い戸惑いや不信を生むことも少なくありません。

ここで重要なのは、この過程が、医師の怠慢や説明不足によって生じているわけではない、という点です。

CKDのような疾患では、
・症状が乏しいこと
・進行は確率でしか語れないこと
・治療の成功が不可視であること
という性質上、どれだけ誠実に説明しても、患者の納得や実感にまで届かない場面が必然的に生じます。

私はこれを、「語りきれぬ医療」という、現代医療に内在する構造的な問題だと捉えています。

この「語りきれなさ」は、単なる説明不足にとどまりません。

医療が正しく機能しているにもかかわらず、その意味や価値が十分に共有されないことで、患者や住民が、医療について合理的な判断を行い、適切な行動を取ることを難しくしてしまいます。

その結果、治療や予防の重要性が実感されないまま受診や服薬が先延ばしにされたり、分かりやすい説明や断定的な言葉を用いた医療情報に引き寄せられてしまうといった現象が生じます。

つまり、「語りきれぬ医療」は、医療の質そのものではなく、人々の判断と行動を歪めてしまうという点で、現実的な害を伴っているのです。

これは医療が失敗しているという意味ではなく、医療の限界が社会の側で十分に共有されていないことによって生じている問題だと言えます。

医療に対する不信や、分かりやすい医療情報に引き寄せられてしまう現象は、決して偶然ではありません。

医療が語りきれない領域がある以上、人はその空白を、別の説明や物語で埋めようとします。

問題は、その空白を誰が、どのような形で補完するのか、です。

「語りきれぬ医療」という現実を認めることは、医療を否定することではありません。

むしろ、医療が本来担っている役割を正しく理解し、医療の外側で何を補完すべきかを考えるための前提です。

CKDは、現代医療が抱えるこの構造的課題を、最も分かりやすく示している代表例だと思います。

この視点を踏まえ、医療と住民のあいだに生じる「理解と納得の空白」を、社会としてどのように支えていくのか。

その点を、今後、議会の場で丁寧に明らかにしていきたいと思います。