私たちは日々、当たり前のように暦を見て年齢を数えています。
しかし、その「当たり前」が、いつ、どのような思想のもとで形づくられたのかを、立ち止まって考える機会は多くありません。
日本では長らく、太陰太陽暦(旧暦)と数え年が用いられてきました。
これは単なる計算方法の違いではなく、生命の始まりをどう捉えるかという、きわめて根源的な生命観と深く結びついていました。
太陰太陽暦は、月の満ち欠けを基本としつつ、閏月を設けることで季節の巡りと調和させる暦です。
そこでは、時間は直線的に消費されるものではなく、循環する自然の一部として捉えられていました。
正月、節句、祭礼、農事――これらはいずれも、自然の変化と人の営みを結びつける節目でした。
暦は単なる日付の管理ではなく、人が自然の中で生きていることを再確認するための装置だったのです。
数え年の根底には、「もののはじめは一である」という考え方があります。
存在が成立した瞬間に「一」に入るという思想です。
人のいのちも同様に考えられてきました。
受精した瞬間に生命が始まり、胎内で育まれる期間――いわゆる「とつきとおか」――は、生命の第一年の内側として捉えられてきました。
その結果、出生時にはすでに一歳と認識され、以後は暦の節目ごとに齢が重ねられました。
ここで重要なのは、出生が生命の始まりではないという認識です。
出生は、命が外界に現れる出来事ではあっても、命そのものの誕生点ではありません。
生命はすでに連続的に存在しており、数え年はその連続性を素直に表現していました。
明治5年、日本は太陰太陽暦を廃し、太陽暦(グレゴリオ暦)を採用しました。
あわせて、年齢の考え方も「満年齢」へと改められ、生まれた時点を零歳とする制度が定着します。
その結果、生命の始まりを出生に限定する見方が、制度として固定化されることになりました。
とはいえ、満年齢は「出生後の生存期間」を示す指標にすぎません。
しかも、太陽暦そのものも閏年や閏秒によって調整されており、年齢計算が科学的に完全に正確であるわけではありません。
そうであるならば、何を基準に年齢を数えるかは、数値の正確さだけでなく、どのような生命観を採るのかという問題でもあるはずです。
満年齢や太陽暦という制度を使い続けるとしても、数え年に象徴される生命観という魂まで失ってよいのか。
数え年は、たしかに科学的な時間測定としては厳密ではありません。
しかしながら、生命を「一」から迎え入れ、自然の循環の中に位置づけるという点において、きわめて一貫した理念をもっています。
そこでは、命はゼロから始まるものではなく、始まった瞬間から尊重される存在です。
この視点に立てば、生命をめぐる現代のさまざまな議論――出生、老い、死、さらには堕胎の問題――も、異なる角度から見えてきます。
太陰太陽暦や数え年は、過去の遺物ではありません。
それらは、我が国が長い時間をかけて培ってきた生命観の表現です。
制度は時代とともに変わります。
しかし、制度の背後にある思想や価値観まで切り捨ててしまってよいのかどうかは、あらためて問い直されるべきではないでしょうか。
生命をどこから始まるものとして迎え入れるのか――その問いに向き合うことこそが、私たち自身の生き方を見つめ直すことにつながるのだと思います。


