政府は現在、高額療養費制度の見直しを進めています。
示されている案では、患者負担の上限額を2026年8月と2027年8月の2段階で引き上げることが予定されています。
所得区分によって差はありますが、最終的には最大で現行より約38%上昇する区分も検討されているとのことです。
また、いわゆるOTC類似薬についても制度変更が予定されており、解熱鎮痛薬や湿布薬など、市販薬と同じ成分を持つ医薬品については、これまでの通常の窓口負担(1〜3割)に加え、薬剤費の4分の1程度の特別料金を上乗せする仕組みが導入される見込みです。
これら患者負担を引き上げる理由として、政府は「医療制度の持続可能性」と「現役世代の負担軽減」を挙げています。
確かに日本では高齢化が進み、医療費は増加しています。
そのため、制度を維持するためには患者にも一定の負担を求めるべきだという議論が出てくるのは、ある意味では自然な流れかもしれません。
しかし、医療費とは、単に消えていくおカネではありません。
それは医療機関の収入となり、医療従事者の所得となり、国内経済の中で循環していく支出でもあります。
つまり、社会全体から見れば医療費は「負担」であると同時に、「所得」でもあるのです。
それにもかかわらず、日本では医療費が増えると必ずと言ってよいほど「抑制すべきコスト」として扱われます。
これは偶然ではありません。
日本の財政制度は、社会保障費を基本的に「財政を圧迫する支出」として扱う仕組みになっているからです。
そのため、医療費が増えると、まず給付の見直しや自己負担の引き上げが議論されることになります。
今回の高額療養費制度の見直しも、その延長線上にある政策と言えます。
とはいえ、医療制度は単なる支出項目ではなく、国民の生命と健康を守るための重要な社会基盤です。
道路や港湾、上下水道などのインフラを整備することが国家の重要な役割であるように、誰もが必要な医療を受けられる制度を維持することもまた、国家の重要な責務です。
高額療養費制度は、そのために設けられた仕組みの一つです。
重い病気にかかったときでも、医療費が理由で治療を諦めることがないようにするための安全装置と言えます。
だからこそ、この制度の見直しを議論する際には、単に「誰がどれだけ負担するか」という問題だけでなく、もう少し大きな視点から考える必要があります。
国家とは、国民生活を守る制度装置です。
その観点に立てば、問題の本質は財政ではなく、その引き上げが医療という社会制度を本当に強くするのかどうかです。
我が国の医療制度の根幹が、所得によらず医療にアクセスできることを保障する点にある以上、いま政府が進めようとしている患者負担の引き上げが、医療制度の強化につながるとは私には思えません。
医療費は社会から消えていく費用ではなく、医療機関や医療従事者の所得として国内経済の中で循環する支出です。
したがって、患者負担を引き上げなくても、制度の設計次第で国民皆保険を維持することは十分可能です。


