本日のブログも、川崎市が進めているソーシャルデザインセンター(SDC)事業の問題点について取り上げます。
実はこの事業について、現場で担っている区役所職員からもさまざまな声が上がっています。
「どこへ向かう事業なのか分からない」「成功の定義や評価方法が共有されていない」「最終的な責任の帰着点が見えない」――。
制度は、そこで働く人の行動を方向づけます。
何を目指すのかが曖昧であれば、判断は個々人の裁量に委ねられることになります。
成功の定義が共有されていなければ、努力は積み重なっても到達点は定まりません。
責任の所在が示されていなければ、誰も最終的な決断を引き受けることができません。
これは意欲の問題ではありません。
能力の問題でもありません。
制度が、そのような行動しか生み出さない構造になっているということです。
SDC事業は、「市民参加」「協働」「市民創発」を掲げ、新しい公共のかたちを模索する取り組みだと説明されています。
こうした行政の姿勢に、期待を寄せる市民も少なくないでしょう。
しかし、制度として見たときに重要なのは、参加の入口だけではありません。
その取り組みが最終的にどのような成果として確認され、うまくいかなかった場合に誰がどのように責任を負うのかという、出口の設計です。
入口が広く語られ、出口が定義されないとき、現場は常に「関わり続けること」そのものを目的にせざるを得なくなります。
評価基準がなければ、改善の方向も定まりません。
結果として、時間と労力が投じられても、事業の効果を確かめることができない状態が固定化していきます。
さらに深刻なのは、責任の回路が曖昧になることです。
協働という言葉のもとで多くの主体が関われば関わるほど、最終的な判断主体が見えにくくなります。
すると、うまくいったときには成果が共有されますが、うまくいかなかったときには責任の所在は拡散します。
現場で「どこへ向かうのか分からない」という声が出るのは、当然の帰結です。
なぜなら制度の側が、方向と到達点を明示していないからです。
私は、SDCに関わる職員や参加している市民を責めたいのではありません。
むしろ逆に、真面目に取り組んでいる人ほど、評価の物差しと責任の所在が定まっていないことに不安を覚えるのだと思います。
だからこそ必要なのは、理念をさらに積み上げることではなく、制度の骨格を明確にすることです。
この事業は何を実現したら成功と言えるのか。
どの時点で検証するのか。
うまくいかなかった場合、誰がどの立場で説明責任を負うのか。
ここまで定義してはじめて、現場は安心して挑戦することができます。
市民もまた、納得して参加することができます。
制度は、人を助けることもあれば、人を迷わせることもあります。
制度設計を誤れば、善意すら迷走に変わります。
いま現場で起きている混乱は、個々人の努力によって解決される種類のものではなく、設計を見直さなければ解消されない段階に来ているのではないでしょうか。
SDC事業が本当に地域の力を引き出す仕組みになるのか。
それとも、責任の所在を曖昧にしたまま負担だけが積み上がる仕組みになるのか。
いま制度を整えなければ、「何もしないほうが良かった」という最悪の結果になりかねません。
しかしそれは、リアリズムを欠いた制度設計が行き着く必然的な帰結です。


