近年、世界各国で政治の混乱が続いています。
選挙のたびに分断が深まり、人々の不満は既存の政治や制度へと向けられています。
その背景としてしばしば語られるのが、「ポピュリズムの台頭」や「民主主義の危機」です。
しかし、いま本当に起きているのは、民主主義が弱くなったという単純な話なのでしょうか。
現代の混乱を理解するためには、「自由」と「民主」が本来どのような関係にあったのかを、まず問い直す必要があります。
もともとこの二つは、国民国家という枠組みの中で結びついていました。
同じ共同体に属するという前提があるからこそ、人々は互いの自由を保障し合い、多数決という仕組みを受け入れることができたのです。
言い換えれば、自由も民主も、「同じ国民である」という土台の上ではじめて機能していました。
ところが、グローバリズムの進展は、この前提を大きく揺るがしました。
資本や人、情報が国境を越えて移動することが当然となり、経済運営や政策決定は国内の民意だけでは完結しなくなりました。
市場や国際機関、条約、評価機関といった外部の基準が、各国の選択肢を事実上制約してきたことは、いまや広く認識されています。
ここで起きたのは、考え方の変化ではありません。
制度の配置そのものが変わる、構造の変化です。
その点で、現在の欧州連合は典型的な事例です。
制度の重心が国民国家の外側へ移ることで、国内でどれほど多数を得ても実行できない政策が増えていく。
選挙で選ばれた政府であっても、動かせない領域が拡大していく。
そうなれば、人々は次第に「自分たちが決めている」という感覚を失っていきます。
民主主義は形式として残りつつも、決定できる範囲は次第に狭まっていく。
一方で、移動や取引、活動の自由はむしろ拡大していきます。
こうして、自由は広がるのに、民主的統制は及ばないという状態が生まれます。
これが、「自由と民主の分離」と呼ばれる現象です。
重要なのは、誰かが悪意をもって壊したという話ではないことです。
グローバルな経済統合を進めれば、意思決定の場所が国境の外へ移るのは、ある意味で自然な帰結でもあります。
つまりこれは、人物の問題ではなく、制度が生み出した構造的結果なのです。
ちなみに、中道右派と呼ばれる政治勢力が各国で躍進している背景にも、この構造があります。
そしてこの構造のもとでは、どの国でも似た現象が起こります。
エリートへの不信、既成政党への反発、そして強い言葉を掲げる勢力の伸長が各地で見られます。
人が変わっても、同じ反応が繰り返されるのは、その背後に共通の拘束条件があるからです。
もし私たちがこの現実を変えたいのであれば、必要なのは誰かを批判することだけではありません。
どのレベルに決定権があり、誰が責任を負い、国民の意思がどこまで届くのかという制度そのものを見直すことです。
自由と民主を再び結び直すことができるのか。
それとも分離はさらに進むのか。
問われているのは、私たちがどこまで決定権を取り戻せるのかという問題です。


