インフレを恐れる市場に欠けている視点

インフレを恐れる市場に欠けている視点

2月13日付けの日本経済新聞が、衆院選後の金融市場について次のように伝えました。

市場は日本国債のデフォルト(債務不履行)よりも、積極財政によってインフレが加速し、通貨や債券の価値が目減りすることを懸念している、という整理です。

この見方は、以前の「財政破綻」論とは明らかにトーンが異なります。

自国通貨建て国債を発行する国家が、技術的に支払い不能に陥る可能性は高くないという理解が、事実上共有されつつあるのかもしれません。

しかし、問題はその次の一歩にあります。

この記事は無意識のうちに、

財政拡大 → マネー過剰 → 通貨価値の下落

という連想の上に立っています。

いわば、通貨量が増えれば価値は下がるという、古典的な数量説のイメージです。

ですが、この説明にはどうしても確認しなければならない事実があります。

日本は長年、国債発行と金融緩和を継続してきました。

とりわけ日本銀行は量的緩和により、その国債を大量に購入してきました。

それでも、長い間、物価は思うようには上がりませんでした。

コロナ・パンデミック以降のコストブッシュ型インフレが訪れるまで、国民経済を貧困化させるデフレ状態が続きました。

もし「財政拡大=マネー過剰=価値下落」が自動的に成り立つのであれば、なぜこの現象が起きたのかという説明が不可欠です。

そこが抜け落ちれば、理論として説得力を欠いてしまいます。

正しい貨幣理解に立てば、問題は通貨が戻るかどうかではありません。

供給能力に対して需要が過大かどうかです。

人手は十分か。

設備投資は足りているか。

エネルギーや物流の制約はどうか。

需要が供給能力、すなわち実物の制約を上回ったときに物価は上昇します。

逆に、供給力に余裕があれば、通貨が増えても必ずしもインフレにはなりません。

過去の日本がまさにそうでした。

ここで見えてくるのは、議論の次元の違いです。

日経の記事は「市場がインフレを心配している」と伝えています。

しかし、市場が何を恐れているかと、制度の中で何が実際の制約になっているかは同じではありません。

前者は心理です。

後者は構造です。

心理を紹介することはできます。

しかし、構造を示さなければ、政策判断の基準にはなりません。

もし本当にインフレが懸念されるのであれば、確認すべきなのは次の一点です。

未来の供給能力を維持するために必要な投資は足りているのか。