有権者としての私の争点

有権者としての私の争点

衆議院議員選挙の投票日が、いよいよ近づいてきました。

選挙になると、消費税や社会保障、外交や安全保障など、さまざまな争点が語られます。

もちろん、有権者一人ひとりが、それぞれに重視する争点をお持ちだと思います。

ただ、有権者としての私の争点は、実はとてもシンプルです。

それは、「その候補者が、どこまで覚悟を引き受けているのか」という一点です。

とはいえ、候補者一人ひとりに直接会って、「あなたの覚悟は何ですか」と尋ねる機会があるわけではありません。

私たち有権者が手がかりにできるのは、街頭演説や討論会、そして何より、各候補者が自らの名前で出している選挙公報です。

今回の選挙で、私のもとにもいくつかの選挙ハガキが届きました。

その中の一枚に、大きな文字でこう書かれていました。

「責任を果たす!!」

なるほど「子どもたちの未来のために責任を果たす」という趣旨のことが書かれています。

もちろん、子どもたちの未来を大切にすることに、異論がある人はいないでしょう。

責任を果たす、という言葉自体も、耳触りの良い、立派な言葉です。

しかし、ここで一度、立ち止まって考えてみる必要があります。

政治の世界で言う「責任」とは、いったい何なのか。

そして、「責任を果たす」とは、具体的に何を意味するのか。

ここで私が重視したいのは、人物評価でも、善意の有無でも、地域行事への参加回数でもありません。

大切なのは、なぜ今の状況が生まれているのか、そしてなぜ放っておけば同じことが繰り返されてしまうのかという説明がなされているかどうかです。

政治における責任とは、本来、「結果が悪ければ謝る」「うまくいかなければ辞める」といった、事後的な対応だけを指すものではありません。

私が考える、本当の意味で覚悟を引き受けるとは、次のようなことです。

・いま何が問題になっているのか

・なぜ、その状況が当たり前のように続いてきたのか

・このまま時間が経てば、何が取り戻せなくなってしまうのか

・放置すれば、どのような結果に行き着くのか

こうした点を具体的に示したうえで、その解決に挑むことだと私は考えます。

要するに「責任を引き受けること」と「責任をとること」は、全く別ものです。

実は、「責任をとる」こと自体は、誰にでもできます。

結果が出たあとに頭を下げることも、職を辞すこともできます。

しかし、「責任を引き受ける」ことができるのは、物事の仕組みや前提を踏まえ、「なぜ必然的にこうなってしまうのか」
「だからこそ、何を変えなければならないのか」を、自分の言葉で説明できる人だけです。

選挙公報に書かれている言葉は、その候補者が、どこまでそうした点に向き合っているのかを、正直に映し出します。

ちなみに、先ほどの選挙ハガキは、「責任を果たす!!」と大きく掲げながら、「やります」「進めます」「実現します」といった意志表明が並んでいるだけでした。

その一方で、「なぜ今までそれができなかったのか」「なぜ同じような政策が、繰り返し掲げられてきたのか」といった点についての説明は、残念ながら読み取ることができませんでした。

だからこそ私は、「何をやるか」よりも前に、「何が問題だと考えているのか」「どんな結果に向き合おうとしているのか」を見ています。

それが、有権者としての私の、ただ一つの争点です。