「決められる政治」という言葉は、長く肯定的に語られてきました。
「合意形成に時間がかかる政治は非効率であり、迅速に決断できる体制こそが優れている」
「危機の時代には、強いリーダーによる即断即決が必要だ」
私たちは、そうした説明を繰り返し聞かされてきました。
しかし、本当にそうでしょうか。
決められる政治は、国家にとって常に正しい選択なのでしょうか。
たとえば、「迅速さ=善」「議論の停滞=悪」という価値観が広がると、政治は次第に“止められない方向”へ傾いていきます。
慎重な検討や異論は邪魔者とされ、合意形成はコストとして嫌われます。
この思想が制度に反映されると、何が起きるでしょうか。
権力が集中します。
議会の役割は相対的に弱まり、意思決定は少数の中枢に集約されていきます。
本来、議会とは、政治を前に進めるための装置である以前に、暴走を防ぐためのブレーキです。
利害が衝突する政策ほど、時間をかけて議論し、止め、修正する。
この過程そのものが、制度を健全に保ってきました。
ところが、「決められる政治」が至上命題になると、このブレーキは「非効率」として外されます。
結果として生じるのが、政策決定の「占有」です。
権力が集中すれば、その周囲に必ず人が群がります。
利権、ロビー活動、癒着、天下り。
これは誰か一人の道徳の問題ではありません。
制度が、そうした行動を合理的にしてしまうのです。
意思決定が少数に集約され、チェックが効かなくなると、政策は次第に「誰のためのものか」を失っていきます。
持続性や公共性よりも、短期的な利益や特定の集団の都合が優先されるようになります。
このとき、静かに削られていくのが、国家の供給能力です。
供給能力とは、単に生産量のことではありません。
インフラ、産業基盤、技術、人材、行政の実行能力、エネルギーや水といった基礎資源。
これらすべてを含みます。
供給能力は、短期間の決断では育ちません。
長期的な投資と、継続的な運用、そして将来を見据えた制度設計が不可欠です。
ところが、権力が集中し、政策が占有されると、何が起きるでしょうか。
長期投資は後回しにされ、目先の成果が優先されます。
インフラは食い潰され、環境は軽視され、行政能力は疲弊していきます。
こうして供給能力が削られると、やがて経済の表層に異変が現れます。
物価の上昇、通貨価値の低下、生活必需品の不足。
ベネズエラで反政府運動が広がった背景も、その延長線上にあります。
しかし、これらは原因ではなく結果です。
順番を間違えてはなりません。
国家が壊れる入口は、通貨ではありません。
供給能力と制度の劣化が先にあり、その後に通貨や治安の問題が現れるのです。
さらに深刻なのは、供給能力の中には「不可逆」に近い領域があることです。
水資源や土地、環境は、一度壊れると元に戻すのに膨大な時間がかかります。
無計画な開発や短期利益を優先した政策は、将来世代に取り返しのつかない制約を残します。
供給能力が限界を超えて削られると、国家は公共サービスを維持できなくなります。
行政は機能不全に陥り、治安は悪化し、制度の空白を私的な権力が埋め始めます。
そこにあるのは、迅速な決断ではなく、統治の崩壊です。
現在のイランで起きている政情不安も、まさにその延長線上にあります。
では、決められない政治は無責任なのでしょうか。
そうではありません。
決められない政治とは、誰も責任を取らない政治ではなく、誰か一人にすべてを決めさせない政治です。
権力を分散させ、利権の占有を防ぎ、供給能力を長期的に守るための安全装置です。
議論に時間がかかることは、しばしば苛立ちを生みます。
しかし、その遅さこそが、国家を内側から壊さないためのコストでもあります。
迅速に決めることよりも重要なのは、何を、誰が、どの制度のもとで決めているのか。
国家を壊すのは、議論の遅さではありません。
供給能力を削り続ける制度の劣化であり、その劣化を正当化する思想です。
私たちは、その順番を、決して見誤ってはならない。


