小泉構造改革と「点検の市場化」――判断を引き受ける政治へ

小泉構造改革と「点検の市場化」――判断を引き受ける政治へ

1月19日、中央自動車道・笹子トンネルで、防災本管(火災消火用配水管)の破損による漏水が発生し、上り線が長時間にわたって通行止めとなりました。

防災本管は1975年のトンネル供用開始時から使用され、すでに約50年が経過していました。

過去にも漏水履歴があり、直近の2025年12月の点検では「異常なし」と判断されていたとのことです。

このニュースに接し、2012年の笹子トンネル天井板崩落事故を思い出した方も多いのではないでしょうか。

あの事故は、単なる点検ミスや現場の怠慢ではなく、実に根深い構造的な問題を内包していました。

本質的な問題は、「どのように点検するか」という技術論以前に、「点検をどう位置づけるか」という思想そのものにあったのです。

かつて、トンネルや橋梁の点検では、打音検査や近接目視、触診といった、人の手と経験に依存する方法が重視されていました。

コンクリートを叩いたときの音の違い、わずかなひび割れの変化、触れたときの感覚。

こうした点検は、時間も人手もかかり、数値化もしにくい一方で、構造物の実態を把握するためには欠かせないものでした。

たしかに、これらの点検方法は、別の見方をすれば「非効率」でもあります。

人件費がかかり、作業時間は長く、成果は「何も起きないこと」としてしか現れません。

こうした行為は、効率化や合理化を重視する発想とは、どうしても相性が悪くなります。

その転換点となったのが、小泉純一郎内閣のもと、構造改革の一環として断行された道路公団民営化でした。

道路は公共インフラであると同時に、民営化によって「収益を生む資産」として管理される存在へと位置づけが変わりました。

このとき、点検や補修は、安全を守るための行為であると同時に、「削減すべきコスト」としても扱われるようになります。

長期的な劣化リスクよりも、短期的な収支や効率が評価されやすくなり、手間のかかる検査ほど見直しの対象となっていきました。

ここで起きたのが、いわば「点検の市場化」です。

点検という、本来は市場原理と相性の悪い行為が、経営判断の中に組み込まれていったのです。

重要なのは、これを単純に「民営化が悪かった」「民間企業が悪い」と片付けるべきではない、という点です。

問題は、市場原理が得意とする分野と、そうでない分野の切り分けが十分に行われなかったことにあります。

点検や保全は、壊れなければ評価されず、成果が数字として表れにくい行為です。

将来のリスクを、現在のコストとして引き受けるという性質上、どうしても後回しにされやすくなります。

その結果、「前回は異常がなかった」「基準は満たしている」という判断に、組織全体が引きずられやすくなります。

今回の防災本管漏水も、こうした構造的な限界を静かに示しています。

使用開始から50年が経過し、過去に漏水履歴もありながら、直近の点検では異常が確認されませんでした。

点検制度があっても、劣化そのものを止めることはできず、特に配水管やアンカーなどの「見えない部分」は、壊れて初めて異常が顕在化します。

これは、現場担当者の努力不足というよりも、点検に過度な安心を期待してしまう制度設計の問題だと言えるでしょう。

「異常なし」「まだ使える」と判断するとき、あるいは「更新は次でいい」と先送りするとき、誰が、何を根拠に、その判断を引き受けているのか。

そこが、この問題の核心です。

ここで問われているのは、技術やマニュアルの話ではありません。

老朽化が不可逆的に進むと分かっているインフラを、誰が、どの基準で、いつ「止める」「更新する」と判断するのか。

これは、明らかに統治の問題です。

市場原理は、効率化やコスト削減にはたしかに有効でしょう。

しかし、事故が起きる前に止める決断や、将来世代の安全のために現在コストを引き受ける判断を、自動的に導いてくれるわけではありません。

この問題は、高速道路や国のインフラに限った話ではありません。

同じ構造は、私たちの足元にある地方自治体の公共施設や道路、地下構造物にも、そのまま当てはまります。

例えば、川崎市を含む多くの自治体では、高度経済成長期に集中的に整備された施設が、築40年、50年を超えています。

点検は行われつつも、書類上は「異常なし」とされている。

しかし、それは「壊れないこと」を保証するものではありません。

限られた財源の中で、更新投資は先送りされ、点検は最低基準を満たすこと自体が目的化していないでしょうか。

問題が起きてから対応する、という構造に陥っていないでしょうか。

いま本当に問われているのは、事故が起きた後の責任追及ではありません。

事故が起きる前に止める判断を、誰が引き受けるのかという覚悟です。

公共インフラは、市場の論理だけでは守れません。

インフラを所管する地方自治体こそが、自らの施設と構造に向き合い、「見えていない劣化」を前提にした政策判断を下すべきです。

笹子トンネルの教訓は、過去の事故ではありません。

それは今もなお、形を変えながら、私たちの足元で問い続けられているのです。