日銀は18日から、金融政策決定会合を開きます。
報道によると、どうやら利上げに踏み切ろうとしているようですが、強い違和感を覚えます。
なぜなら、現在の日本経済は、利上げによって需要を抑制すべき局面にはないからです。
GDPはマイナス成長に陥り、民間投資も内需も力強さを欠いています。
この状況で景気を冷やす方向に政策を動かす合理性は、経済学的には見当たりません。
それでもなお利上げが議論され、圧力がかかっているとすれば、そこには金融政策とは別の論理、すなわち財政政策をめぐる構造的対立が存在していると考える方が自然です。
まず確認しておくべき前提があります。
国債は常に借り換えで運営されています。
満期が来た国債は、税で返済されるのではなく、新たな国債の発行によってロールオーバーされます。
償還費であろうが利払い費であろうが、いずれも国債という同一の金融資産の内部処理にすぎません。
しかも国債金利は、市場の気まぐれで決まる内生変数ではなく、中央銀行が政策的に制御できる外生変数です。
イールド・カーブ・コントロールが示したとおり、日銀が本気で抑えようと思えば、国債利回りはいくらでも抑え込めます。
この前提に立てば、「利上げによって利払い費が増え、財政が持たなくなる」という議論は、会計的にも制度的にも成立しません。
それにもかかわらず、政治や予算編成の現場では、この説明が繰り返し使われてきました。
なぜか。
それは、この言説が積極財政を抑え込むためのフレーミングとして極めて有効だからです。
利上げは、実体として財政制約を生まなくても、「将来の利払い費増大リスク」という物語を作り出します。
その物語は、「財政規律への配慮」「慎重な予算編成」「成長投資はほどほどに」といった方向へと議論を誘導します。
つまり利上げは、経済を直接冷やすだけでなく、財政政策を縛るための制度的装置として機能するのです。
ここで浮かび上がるのが、財務省の存在です。
財務省は一貫して積極財政に否定的であり、需要拡大よりも歳出抑制を優先する組織です。
その立場からすれば、高市早苗氏が掲げるような「本予算での成長投資」「供給力強化による経済再建」は、明確に好ましくない路線です。
補正予算で一時的に景気を下支えする程度なら許容できても、本予算で恒常的な投資を組み込まれることは、どうしても避けたい。
その場合、正面から「積極財政に反対だ」と言うよりも、結果として景気が冷える方向に政策が動いた方が、説明は容易になります。
景気が減速すれば、「いまは成長投資どころではない」「財政に慎重であるべきだ」という空気が自然に形成されます。
利上げは、そのための極めて都合の良い手段です。
形式上は日銀の独立した金融政策判断でありながら、結果として積極財政の芽を摘む方向に作用するからです。
円安対策という説明も、同じ構造の中で理解すべきでしょう。
円安は確かに家計に負担を与えますが、同時に国内投資の採算性を高め、生産の国内回帰を促します。
本来であれば、円安による負担は財政で支え、円安のメリットを最大化するのが合理的です。
しかし利上げによって円安を抑えれば、需要も投資も冷え込み、結果として経済全体が縮みます。
これは「安定」ではなく「停滞」です。
日銀のマンデートについても、見過ごすことはできません。
かつての日銀は、物価安定のみを使命とするシングルマンデート(一つの使命を果たすこと)だとされてきました。
しかし高市内閣は発足以来、「強い経済成長と物価安定」の両立を政策の一環として掲げており、日銀に対しても、その方向性に沿った金融政策運営を期待する発言を行っています。
これは事実上、FRB型のデュアルマンデート(二つの使命を果たすこと)を課したことを意味します。
その立場に立つなら、2025年7〜9月期に実質GDPが年率▲2.3%となるなど、マイナス成長局面にある中で利上げに動くことは、日銀の使命そのものと矛盾します。
それでもなお利上げが志向されているとすれば、それは「経済のため」ではなく、経済を冷やすことによって財政拡張を困難にする構造を維持したい勢力の論理が作用していると考える方が、よほど整合的です。
いま日本に必要なのは金融引き締めではなく、本予算での明確な成長投資と需給ギャップをプラスに押し上げる高圧経済です。
需要を作り、賃金を上げ、企業の国内投資を引き出す。
その結果として供給能力を高め、インフレを安定させる。
この順番を誤ってはなりません。
利上げは、その逆を行く政策であり、その効果は偶然ではなく制度的に積極財政を妨害する方向へ作用します。
すなわち、積極財政に反対する財務省が、あえて景気を冷やすために利上げ圧力をかけている可能性に言及せざるを得ません。


