私が川崎市議会議員に初当選したのは2003年のことです。
当時、私は議会で歴史認識について、たとえば「大東亜戦争の位置づけ」や「敗戦後に形成された自虐史観の問題」などを指摘し、川崎市教育委員会の副読本の内容修正を求めてきました。
しかし、その頃はまだ歴史観の再検証そのものがタブー視されやすく、議場では冷ややかに受け止められることも少なくありませんでした。
主張が理解されないもどかしさを感じながらも、史料に基づいた正しい知識を次世代へ伝えることの重要性を信じ、議会で訴え続けてきたのです。
ところが近年、状況は大きく変わりつつあります。
SNSやネット動画、書籍を通じて戦後史観への再評価が広まり、歴史の解釈をめぐる議論はかつてほどタブーではなくなりました。
当時は少数派とされた私の主張も、いまでは多くの方から「ようやく時代が追いついてきた」と声をかけていただける場面が増えてまいりました。
この変化を目の当たりにすると、知識が社会に浸透するまでには必ず時差があるのだと実感させられます。
それは財政政策についても同じです。
私は10年以上前から議会で「緊縮財政の弊害」と「積極財政による供給力の再建」の必要性を訴えてきました。
ところが、当時は「財政赤字は悪」「公共事業は無駄」という考え方が絶対視され、反緊縮の議論は理解を得にくいものでした。
しかしながら、世界的にMMT(現代貨幣理論)の議論が広がり、さらにコロナ禍の財政出動や国際的な経済政策の転換が重なって、日本でも「本当に必要なのは何か」という問いが生まれ、ようやく議会でも真剣に耳を傾けてもらえる土壌が整い始めています。
知識が世の中に広がる速度は、決して一本の矢のように一直線ではありません。
最先端の研究が学会で議論され、書籍となり、メディアで紹介され、SNSで共有され、社会の常識となるまでには十年単位の時間がかかります。
ある時代に異端とされた考えが、次の時代では常識になる――学問に限らず、歴史観も、経済政策も、同じ道筋を辿ります。
ゆえに、一歩先を行く者は、孤独や誤解を恐れてはなりません。
その時間こそ、未来が開く前の静かな助走期間なのです。
むしろ、理解されない時期こそ、未来に橋を架けている証なのだと思います。
私が議会で問い続けてきた「歴史の正しい理解」と「財政の再評価」は、いずれも時間を経て少しずつ社会に浸透してきました。
議場で孤立を感じた日々もありましたが、いま振り返れば、その時間もまた必要なプロセスだったのだと納得します。
知は一足飛びには広まりません。
だからこそ、これからも私は、次の十年のために、正しいと思うことを誠実に訴え続けたいと考えています。
未来の常識は、今日の少数派の中に芽生えています。
歴史に学び、経済を学び、市政の現場で実践しながら、川崎のため、日本のために、真摯に歩んでまいります。


