昨日、『経世セミナー』にご参加いただきました皆様に心より感謝申し上げます。
さて、高市首相は、所信表明演説や国会答弁において――債務残高の伸び率を成長率の範囲内に抑え、政府債務残高の対GDP比を引き下げていくこと、財政の持続可能性を確保してマーケットの信認を維持していくこと、そしてプライマリーバランス(以下、PB)については単年度ごとに達成状況を見ていく考え方を見直し、数年単位で捉える方向性――を闡明しています。
PBこそ「赤字は悪」とする新自由主義的・家計簿的財政観の顕れです。
首相の発言は「PBの撤回」とまではいきませんが、積極財政の実現にむけての大幅な前進にはなります。
ところが、令和7年11月7日付の日本経済新聞電子版の記事を読んでみて改めて、財務省とメディアの情報循環構造が国民の財政認識を縛っている現実を強く感じました。
記事には「PB黒字化が財政健全化への第一歩といわれる。」――という一文があります。
この一文こそが、日本社会に深く刷り込まれた「財務省的フレーミング」の象徴です。
「いわれる」と逃げの言い回しをしているものの、この記事を読んだ一般の読者は「ああ、やっぱりPB黒字化が大切なのだ」と理解してしまうはずです。
ちなみにPBとは、社会保障や公共投資などの政策経費を借金に頼らず、税収でどれほど賄えているかを示す指標です。
しかし、たとえPBが黒字になったとしても、経済が縮小していれば財政はむしろ悪化します。
逆にPBが赤字でも、経済が成長していれば財政は強くなっていきます。
でも本当は、債務対GDP比の改善に必要なのは、PB黒字化ではなく、経済成長と金利管理なのです。
本来、財政健全化とは「国全体の供給力を維持し、成長させること」を目的とするものです。
にもかかわらず、日本ではなぜかPB黒字化が「財政健全化そのもの」であるかのような物語を展開するわけです。
ここにメディア(特にオールドメディア)の問題があります。
新聞記者の多くは財務省から説明を受け、その内容を記事に書きます。
財務省の勉強会には積極的に参加し、そこから得た言い分を報じることが評価につながる構造があります。
いわゆる「財務省記者クラブ(財政研究会)」の影響です。
その結果、国民に届けられる情報はこうなります。
「国債は借金だから増やしてはならない」「増税は財政再建のために必要だ」「国債残高は危険水域にある」
いつも言うように、主権通貨国の政府は、国債発行を通じて通貨を発行しているにすぎず、国債を税金で完済する必要などありません。
あるいは、税は財源ではありません。
むしろ通貨の価値を維持するために徴収しているにすぎません。
こうした事実は伝えられず、ただただ財務省が垂れ流す「破綻プロパガンダ」を再生産する。
もはやオールドメディアは、その信頼を自ら手放しているのです。


