未だ収束の糸口の見えないロシア・ウクライナ戦争。
この戦争は、改めて世界に厳しい現実を突きつけています。
戦いの帰趨を決めるのは、兵器の性能だけではありません。
弾薬を途切れさせない生産力、兵站を支える産業基盤、それらを維持し続ける財政体力、そして技術者や兵士を育てる教育力――すなわち国家の「総合力」こそが、防衛の決定的要素であることを私たちはまざまざと見せつけられています。
その意味で、防衛は独立して成立する政策ではないことを、私たちは改めて理解しなければならないと思います。
要するに防衛は、教育・技術・財政・産業政策と一体的に成立するものなのです。
たとえば最新鋭の戦闘機があっても、それを整備する技術者が不足していれば稼働できません。
自衛官がいなければ、どれほど優れたシステムもただの鉄の塊です。
教育は、防衛を支える人材の源泉であり、技術力は装備体系の質と独立性を決めます。
産業基盤は弾薬・補給・装備の供給力そのものであり、財政――通貨発行力と言ってもいい――はそれらすべての継続的裏づけです。
もし産業が衰退し、技術が海外流出し、財政が緊縮に縛られ、教育現場が疲弊すれば、その国の防衛力はたちまち根腐れしてしまうでしょう。
現実にロシア・ウクライナ戦争では、弾薬生産力と補給力を確保し続けたロシアが優位に立ちつつあります。
戦争はつねに総力戦であり、供給能力が勝敗を左右する。
その事実から、もう目を背けることはできません。
したがって、安全保障を議論する際には、防衛費の増額だけで論じることができないのは当然です。
教育への長期投資、科学技術への国家戦略、防衛産業の維持と育成、積極的な財政政策、そして国土と国民を守る災害対策。
これらはすべて、安全保障政策の中核そのものです。
防衛力の強化とは、国の運命を未来に切り開く力の強化にほかなりません。
逆にいえば、教育・技術・産業・財政に目を向けずに防衛費だけを議論する国は、その安全を守る資格すら失うことになるでしょう。
日本は、いや日本こそは、この当たり前の真理を決して見失ってはなりません。


