中東混迷は、秩序そのものの限界である

中東混迷は、秩序そのものの限界である

イスラエルのガザ戦争、周辺諸国への空爆、そして米国による事実上の無条件支援——。

欧米の専門家の多くは、中東の混迷を「イスラエルの暴走」と「米国外交の不手際」に求めがちです。

したがって、ワシントンが同盟国イスラエルをうまく抑制し、公正な和平プロセスを再起動させれば、秩序は修復できるという考え方が主流です。

しかし、目の前の指導者や外交の拙さばかりを問題視している限り、混迷の本当の正体はつかめません。

なぜなら中東で起きていることは、「秩序の運用ミス」ではなく、「秩序そのものの限界」が露呈している可能性があるからです。

欧米の議論の根底には、常に一つの思い込みがあります。

それは、戦後米国が主導してきた国際秩序——民主主義や人権や国際協調を掲げるリベラルな秩序は絶対に正しいはずだ、という信念です。

現実がどれほど混乱しようとも、「理念には問題はない。運用を誤っただけだ」という前提は変わらない。

しかし本当にそうでしょうか。

リベラルな理想を掲げて介入し、政権を転覆させ、和平を仲裁してきた結果、中東に何が残ったのか。

イラク、シリア、リビア。

いずれも混乱と分断ばかりが積み重なりました。

それでもなお、欧米の多くの論調は「リベラルな秩序は正しかった」と信じ、イスラエルという“例外”を是正すればよい、と考えます。

しかしイスラエルの強硬姿勢は、果たして特異な偏差値なのでしょうか。

むしろ米国が推し進めてきた、中東を作り変えるリベラル覇権路線の延長線上にこそあるのではないのか。

米国の庇護を得て軍事的優位を極大化してきた国が、最大化した力を使い続けるのは、ある意味では構造的必然です。

さらに、世界は変わりました。

中東諸国は、米国だけに頼らない安全保障ネットワークを模索しています。

軍事技術や資源をめぐる新たな結びつきが生まれ、通貨とエネルギーの取引構造も揺らぎはじめました。

もはや単独覇権の枠組みでは収まり切らなくなっているのです。

それでも欧米の一部論者は、「もう少し賢いやり方をすれば、秩序は戻る」と言い続けます。

しかし、いま問うべきは、秩序そのものの老朽化です。

米国による一極秩序を前提に設計された理想の建物が、いまや世界の多極化という地殻変動に揺さぶられ、基礎部分からきしみ出しているのです。

そのきしみの最前線にあるのが、中東です。

現在の中東の混迷は、けっしてイスラエル一国の暴走や、米国の下手な外交だけでは説明できません。

むしろそれらは、もっと大きな故障の症状に過ぎない。

長年続いてきたリベラル国際秩序の「設計思想」そのものが、現実の力学と食い違いはじめている、その兆候なのです。

だからこそ、いま必要なのは「誰が悪いか」を探す議論ではなく、理念の美しさに酔い、「本来こうあるべきだった」と過去にすがる議論でもありません。

歴史が動くとき、秩序は姿を変える。

その現実を直視しなければ、同じ誤りが繰り返されるだけです。

中東の混迷は、リベラル秩序の失敗が、いよいよ隠しきれなくなった現れです。

そう認めるところから、真の議論がはじまるのです。