泥沼化する労働会館改修工事――竣工図なき改修がもたらした必然

泥沼化する労働会館改修工事――竣工図なき改修がもたらした必然

一昨日の11月13日、川崎市議会(文教委員会)において、川崎区にある川崎市立労働会館の改修工事に関し、大幅な工期延長と27.6億円もの費用増額が報告されました。

その原因は、施工ミスでも業者の怠慢でもありません。

もっと深い次元にある「構造的敗北」です。

今回、行政は「労働会館には竣工図が存在しなかった」という事実を認めています。

昭和56年の竣工以来、現場の実態を記録した“完成図面”が一度も作成されず、改修工事はなんと 「設計図のまま」 を基準に進められていました。

竣工図がない建物の改修とは、どのような事態を招くか。

その結果は、想像するまでもありません。

配管貫通孔は図面と600か所以上ずれ、梁の中心位置も30か所近く不一致。

加えて、図面にない小梁、図面と異なる湧水ピット、鉄筋のかぶり不足、地中障害物……。

本来なら設計段階で把握されているべき“前提条件”が、次から次へと崩れていったのです。

これは、施工現場の苦労というレベルではありません。

戦略の前提が存在しないまま戦を始めるようなものです。

竣工図の不存在は技術的には「情報の欠如」、制度的には「文書管理の欠陥」です。

そして思想的には「財政規律という思考様式」の産物と言っていい。

今回、市が改修を選択した理由は明確です。

「改築より安いから」。

令和5年の試算では、改築は24.6億円高いと説明され、それを根拠に“改修でいく”と決められました。

しかしその比較は、「竣工図が正しい」という前提で作られました。

つまり、最も重要な前提が誤っていたのです。

これは典型的な ネオリベラリズム行政の自己矛盾です。

ネオリベの特徴は、
―「公共投資=コスト」
―「大規模予算=悪」
―「調査=削減対象」
という、“短期の予算削減”を至上命令とする発想です。

その結果、行政は「改築より安い」という数字だけを凝視し、竣工図の不存在という“構造的条件”を読み違えたのです。

これは、石油も補給線もないまま大国に戦争を挑むような判断に等しい。

開戦前に必要だったのは理念でも精神論でもなく、構造的制約の冷徹な分析です。

ところが行政は、改修のリスクを読み切れず、結果として、工期は13か月延び、費用は27.6億円増え、教育文化会館の解体・多目的広場の開設まで遅れるという「連鎖的損失」を生みました。

これは誰が悪いというより、思想(ネオリベ) → 制度(予算構造) → 判断(改修選択)という三層構造が生み出した必然です。

だからこそ、この問題は単なる技術的失敗ではなく、行政の意思決定構造そのものが敗北したのです。

敗北とは、戦って負けた結果ではなく、戦略的前提を誤った瞬間にすでに決していた“宿命としての敗北”です。

今回の労働会館改修の泥沼は、その宿命が表面化したにすぎません。

必要なのは、「安ければよい」というネオリベ財政思想からの脱却です。

公共施設は市民の資産であり、未来への投資です。

そこに必要なのは支出削減ではなく、構造を読み、前提条件を正しく整える――まさにそのための「戦略的公共投資」の思想です。