高市早苗首相は、経済政策の司令塔として「日本成長戦略会議」を立ち上げ、財源論に縛られない国家投資の議論を進めてきました。
この動きは、財務省主導の財政規律構造を超え、財政を「制約」ではなく「国家戦略遂行の手段」として再定義する試みでした。
その理念がついに政府の中枢――経済財政諮問会議――において明確な形をとりました。
12日に開かれた諮問会議では、財政健全化の象徴とされてきたプライマリーバランス(PB)黒字化目標に対して、「不要論」が公然と提起されたのです。
新たに民間議員として加わった前日銀副総裁の若田部昌澄氏は、「PB黒字目標はデフレ時代の歴史的産物であり、すでにその使命を終えた」と明言しました。
また、第一生命経済研究所の永浜利広氏も、金利よりも成長率が高い現局面では、PB黒字化に固執すると「将来必要な支出が不足する恐れがある」と指摘しました。
つまり、両氏ともに「成長率>金利」の環境下では、一定の財政赤字は経済成長を支える正常な政策手段であると明言したのです。
この発言は、長年にわたり「財政赤字=悪」とされてきた日本の財政思想を根底から覆すものであり、戦後の日本経済運営における思想的転換点を象徴します。
高市首相自身も、すでに11月7日の衆院予算委員会で「PB黒字化目標の年度ごとの確認を取り下げる」と表明していました。
民間議員の新たな提言は、首相の方針と軌を一にするものです。
2002年以来、歴代政権が固守してきたPB目標を政府が正式に撤回することになれば、それは単なる政策変更ではなく、戦後日本の財政思想の終焉を意味します。
高市政権が掲げる「責任ある積極財政」は、単なる景気刺激策ではありません。
それは、通貨発行権を持つ国家が自らの意思で経済を統合的に調整し、社会の生産力を高めるという「国家の機能回復」の宣言にほかなりません。
財政を“制約”とみなす思想は、国家財政を家計簿にたとえる誤謬から生まれました。
しかし、国家は通貨の発行主体であり、真に制約されるのは財源ではなく実体経済の資源(人・物・技術)です。
ゆえに、財政とは国民経済を動かすための手段であり、国家の目的を実現するための“器”なのです。
チャーチルが「財源がないから戦えない」と言う財務官僚を会議から外したように、国家の危機管理において財政論が目的を阻むことはあり得ません。
高市首相が掲げる「危機管理投資」とは、まさにこの精神の現代的再現です。
防衛、科学技術、インフラ、地方創生――これらへの投資を「財源」ではなく「国家戦略」として位置づける。
それこそが、戦後日本が長く封じ込めてきた“国家の意思”を取り戻す道です。
PB黒字化目標の凍結、あるいは撤回が実現すれば、それは戦後の財政神話の終焉であり、日本経済はついに「恐れの時代」から「創造の時代」へと踏み出すことになる。
財政を恐れる国は、未来を恐れる国です。
国家が自らの手で未来を形づくる――その第一歩が、今、踏み出されようとしています。


