本日は、明治節です。
本来この日は、明治天皇のご生誕をお祝いし、そのご聖徳を仰ぎ奉る日でした。
しかし、戦後の占領期において、GHQの指令により祝日法が改定され、「明治節」は廃止されました。
代わって制定されたのが「文化の日」です。
その名のとおり、国家の歴史的意義や君徳をたたえる日ではなく、いわば“政治的に無害化された記念日”として作り替えられたのです。
この出来事そのものが、占領政策の本質――すなわち、日本の国体と伝統を断絶させようとする試み――を象徴していると言えるでしょう。
明治天皇のご聖徳を仰ぎ奉りつつ、きのうに引き続き、本日も憲法について述べます。
実は、政治家や学者を含め、いまだ多くの日本国民が大きな誤解をしています。
それは――我が国が昭和26年、すなわち1951年に締結したサンフランシスコ講和条約を、現行憲法(以下、占領憲法)を根拠として結んだものと思い込んでいる、という誤解です。
しかし、それは法理上、成立し得ません。
なぜなら、占領憲法には「交戦権」が認められておらず、「講和権」も存在し得ないからです。
戦争を終結させる権能も、主権を回復させる法的根拠も、占領憲法のもとには存在しません。
よって、昭和26年に我が国が締結したサンフランシスコ講和条約は、占領憲法を根拠とするものではなく、帝國憲法第13条に定められた「講和大権」に基づく行為であったと理解すべきです。
つまり、講和条約の締結は、天皇大権としての固有の統治行為だったのです。
このことから、サンフランシスコ講和条約は、形式上は占領憲法下で発効したように見えながらも、その実質においては、帝國憲法の講和大権が最後に発動された行為として位置づけるのが、最も整合的です。
要するに、帝國憲法は今なお効力を有しており、また、占領憲法が憲法としては無効(帝國憲法第76条第1項の範囲内で条約として有効)であることの証左なのです。


