新潟県上越市にある県営水力発電所で、近くの斜面が崩壊し水圧管路が破断する事故が発生しました。
県が2025年10月8日に公表した報告書によると、事故の直接の引き金は管路からの漏水であった可能性が高いとされています。
現場の斜面はもともと崩壊しやすい地質構造で、以前から地盤変動が進行していました。
その地盤変動によって管路に過大な土圧がかかり、損傷した管路から漏れ出した水と雪解け水が斜面を不安定にし、最終的に大規模な崩壊を引き起こしたと見られています。
この一連の事故は、我が国の社会インフラが老朽化し、限界を迎えつつある現実を象徴しています。
とりわけ、水力発電所やダム、上下水道といった重要インフラの多くは戦後から高度成長期にかけて整備されたもので、すでに建設から半世紀以上が経過しています。
こうした施設は設計寿命を超えつつあるにもかかわらず、更新や補修に必要な予算が十分に確保されていないのが実情です。
近年は地盤変動や集中豪雨、融雪水の増加など、設計当時には想定されなかった環境変化が進んでいます。
それにもかかわらず、監視・点検体制は更新されず、異常の兆候を見逃す事例が後を絶ちません。
今回の事故も、構造物の健全性評価や早期警戒システムが十分であったなら、防げた可能性があったのではないでしょうか。
さらに、インフラ維持の現場では技術者の高齢化と人員不足が深刻です。
地質・構造・水理を総合的に判断できる人材が減少し、危険の兆しを見抜く力が弱まっています。
こうした技術の空洞化が、インフラの脆弱性を一層高めているのです。
今回のような老朽インフラの放置は、単なる管理の怠慢ではありません。
背景には、1997年以来、財務省が主導してきた「緊縮財政路線」があります。
いわゆる「財政健全化」の名のもとに、公共事業予算が愚かにも削減され続けてきました。
財務省は「国の借金が膨らめば、将来世代にツケを回す」と繰り返してきましたが、これは事実ではありません。
政府の負債は、民間の資産の裏返しであり、いわゆる「国の借金」問題は、実のところ財務省によるプロパガンダであり、経済学的には一種のファンタジーです。
この誤った認識のもとで、必要な公共投資が削られ、日本のインフラは静かに劣化していったのです。
我が国の公共インフラ政策は、これまで「新設重視」から「延命重視」へと舵を切ってきました。
しかし、延命ばかりに頼り、根本的な更新を怠れば、やがて「補修では防げない」事故が多発します。
安全性確保に必要な投資を先送りにすることは、将来世代に危険を押しつけることにほかなりません。
いま求められているのは、財政収支の帳尻合わせではなく、国民の生命と財産を守るための積極的な公共投資です。
財源は、むろん通貨発行(国債発行)でいい。
「シャッキン神話」を信じて安全投資を怠ることこそ、最大の不健全ではないでしょうか。
今回の上越の事故は、老朽化という言葉では片づけられない構造的問題を突きつけました。
私たちはいまこそ、「つくる」時代から「守る」時代へと政策の発想を転換しなければなりません。