我が国に求められる海洋国家戦略

我が国に求められる海洋国家戦略

大陸国家とは、陸と深く関わりをもち、国防を主に陸軍に依存する国家を指します。

これに対して海洋国家とは、海との関わりが深く、国防を主に海軍に依存する国家を意味します。

大陸国家は領土拡張と軍事力の集中を重視し、隣国との対立に終始する傾向がありますが、海洋国家は交易と富の蓄積を重視し、互恵的な関係の中で繁栄を追求します。

この視点からみると、戦前の日本は海洋国家としての要素をもちながら、最終的には大陸国家的な拡張主義に傾斜していったといえます。

明治維新後の日本は、貿易と産業振興を基盤に成長を遂げ、海洋秩序に積極的に参加しました。

海軍の整備はシーレーンの防衛と国際的な地位の確保を目的とし、その歩みは典型的な海洋国家の姿でした。

しかし1930年代に入ると、満洲事変(1931年)やシナ事変(1937年)を経て、日本は大陸での支配を強めていきました。

ノモンハン事件(1939年)と日ソ中立条約(1941年)を挟み、陸軍の対ソ志向は後退しつつも、やがてABCD包囲網(1940–41年)の経済封鎖に直面し、資源確保のため南方へと進出せざるを得なくなり、その過程で陸軍主導の大陸国家型パラダイムに陥ったのです。

さらに致命的だったのは、陸軍と海軍で仮想敵国が異なっていたことでした。

陸軍はソ連を、海軍はアメリカをそれぞれ最大の脅威と想定し、統合的な戦略を構築できなかったのです。

国家のリソースが限られているにもかかわらず、陸軍は大陸で泥沼の消耗戦を戦い、海軍は太平洋で米国と全面衝突しました。

これは大国(当時の日本は大国です)が本来避けるべき「実質的な二正面(同時多戦域)」の典型であり、日本は自らその失敗に飛び込んでいったのです。

やがて制海権を失い、資源や貿易路を断たれ、結末は「過剰拡張による自滅」でした。

戦略の誤りが国策を迷走させ、ついには国を危機に追い込み、国民を不幸にします。

戦後の日本は、米国を中心とする海洋国家の同盟網に組み込まれ、属米体制のもとで経済的奇跡を遂げました。

国際法と自由貿易を基盤とする海洋秩序に、独立した主体としてではなく、米国への従属を余儀なくされる形で復帰してしまったと言っていい。

歴史を振り返れば、大陸国家は常に封じ込められないように拡張意志をもち、海洋国家はそれをいかに封じ込めるかを戦略の中心に据えてきました。

ナポレオン戦争、二度の世界大戦、冷戦、そして今日の中国やロシアをめぐる対立まで、これは繰り返される構造です。

まさに大陸国家の拡張と海洋国家の封じ込めは、地政学がもたらす永遠の闘争であるといえるでしょう。